2022年5月8日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
「失敗と、信仰と生活」 創世記12:10-20
アブラムの旅は目的地カナンに入りました。祭壇を築き、祈りをささげています。しかし、ネゲブに辿り着くと、そこでは何もしません。荒れ果てた地ネゲブでアブラムの心も干からびてしまったです。飢饉が訪れるとエジプトへ避難しました。そこで大きな失敗をします。妻であるサライに妹だと言わせたのです。アブラムの妻だと言うと、美しい女を欲しがるエジプトに妻を奪われ、アブラム自身は殺されかねないと恐れたからです。実際エジプトはそのようにして、美しい女を王宮に召し抱えていました。サライはアブラムの妹でもあったのですが、もしエジプトに召し抱えられるということになれば、貞操の危険があります。それを知りながら、妻ということは隠してくれ、と頼み込んだのです。サライは王の目に止まりました。アブラムは報酬として、多くの家畜や財産を得ました。ちょっとした嘘一つが功を奏し、地位と名誉と財産をいっぺんに手に入れたのです。皮肉みたいに上手くいきました。主は即座に動かれます。アブラムの妻サライのことで、ファラオとその宮廷を大きなわざわ いで打たれました(17)。アブラムの後悔と、売り飛ばされてしまった形のサライの痛みに主が反応されます。主のご計画はサライの貞潔を保つことなく進みません。エジプトは思いも寄らないわざわいに突然打たれます。しかし、エジプト王の発言は、妹だと思ったから召し入れた、という、真っ当なようであるが、気に入ったものは手に入れる、気に入ったもので手に入れられないものはない、という主張に聞こえます。そこにとどまることにならないで良かった、と安堵するばかりです。主の介入により、最悪な事態は免れました。アブラムは突然裕福になって、エジプトを出て行きましたが、今後、このエジプトで得た財産は悩みの種になることになります。 ロトと袂を分かつ原因となり、女奴隷との間にアブラムは第一子を授かることになります。大きな失敗があり、将来の失敗の種まで得ながらも、アブラムはこれまでの歩みを顧みることになりました。自分の知恵でどうにかやり過ごそうという考えを改めさせられたことでしょう。ぺテロがイエス様を三度知らないと否んだ場面で泣き崩れますが、 アブラムのこの体験も、信仰が真っ直ぐに育つためにしっかりとした根を張っていくための体験だったと思われます。裏切りのユダの後悔の結果は自死でした。アブラムはサライと共に元の場所に戻り、主の計画に向かって歩み始めます。自分の弱さによる失敗を主の前に明らかにされることは良いことだとアブラムの体験から分かります。そうでないと、私たちはどこかで信仰を取り違え、傲慢になり、自分の知恵と力でどうにか人生をやりくりしようとします。主にある信仰の伴った生活とい うのは、失敗の底で、ふがいないと落ち込むあなたのところにまで、愛を持って降りてきてくださる主がおられることを信じ、このお方をお迎えすることから始まるのです。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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