2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「わが愛するもの」ヨハネ16:25‐33
神は、その民イスラエルとイエスを信じ神の子とされた人々に「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と語りかける。イザヤは、神に背信を重ね、滅びゆく運命を辿るイスラエルに遣わされた預言者だ。神の厳しい裁きのことばをイスラエルに語った。同時に神がイスラエルをあわれみ、その罪を拭い去り、彼らの祖先と結ばれた契約を破棄することなく、必ず守ることを告げた。神はさばきを受ける背きの民イスラエルに語られる。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」神の不屈の愛は、神に背かずにはいられない人の弱さを覆う。約束の時が満ち、救い主イエスがこの地に遣わされた。神が神の在り方を捨てて人となられるなど、誰が想像することができただろう。神と自身は一つであると告げるイエスは、神を冒涜する者として人々から激しく憎まれた。十字架を目前にしたイエスは、ご自分が神のもとから遣わされたメシアであること、神の御計画を成し遂げて、父のもとに行くことを弟子たちに明確に告げられた。時は過ぎ越しの祭りの夜。アブラハムの子孫によってすべての国民が祝福を受けるという神が結ばれた契約が成し遂げられるためには、出エジプトのとき、子羊の血によってイスラエルの民が神のさばきから救われたように、イエスの血が十字架の上で流される必要があった。神の律法によれば血を流すことなくして罪の赦しはない。人の罪の身代わりとなって屠られた子羊のように神が十字架につけられて血を流し死ぬことを誰が予想できただろうか。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」神の愛のおことばが、真実であることをイエスの犠牲が証明する。イエスは人に仕え、尽くされたご自身の足跡に従うようにと弟子たちに命じられる。神の愛を一身に受ける者とされたイエスの弟子のこころを満たすのは、神の喜び、イエスの喜び、聖霊の喜びと同じ喜びだ。神は私たちを価値あるもの、尊い者、愛する者よ、かけがえのない者よと今日も優しく語りかける。そして私たちが神の喜びに満たされる者となるように導かれる。イエスの弟子の歩みには苦難がある。しかし神の愛が私たちから離れることはない。「わたしはあなたとともにいる。」このおことばは、召されたもの達への神の約束だ。私たちを真の幸せへと導くことができるお方に人生を委ねていきたい。