2025年12月14日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「再会の約束」ヨハネ16:17‐24
イエスが、弟子たちのもとから去って行くことは、弟子たちの生きる目的、人生の土台を揺るがすような試練だった。耐えがたい試練がキリスト者を襲うときがある。
瞬きの詩人。水野源三さんは9歳のときに脳性麻痺のため首から下の動きを奪われた。自分では寝返り一つうてない現実を、どうして幼い少年が受け止めることができただろうか。家族は源三さんを支えた。特に母うめじさんは、源三さんの手足となり、昼夜寄り添い献身的に介護した。ある日、源三さんに運命的な出会いが訪れる。母うめじさんが自宅で始めたパン屋の客の中に、杖をついた一人の男性の姿があった。その人が源三さんに福音を伝えた宮尾隆邦牧師だった。宮尾牧師は進行性筋萎縮症という病を負っていた。源三さんの存在を知ると宮尾牧師は度々水野家を訪問して源三さんの心に寄り添った。源三さんは聖書を通して神さまの愛を知り、自分が生きる意味を知った。そして13歳のときに洗礼を受けた。源三さんは家族の助けを得て、瞬きでたくさんの詩を生み出した。しかし、源三さんが31歳のときに試練が訪れる。父寛さんが病のため亡くなり、源三さんを看取ってから死にたいと願い続けた母うめじさんも、源三さんが38歳の時に亡くなった。
愛なる神は、ときに私たちが耐えがたい試練に合うことを許される。ことばにならない思いを源三さんは詩にしている。「主よなぜですか」/ 主よなぜですか 父につづいて 母までも み国へ召されたのですか 涙があふれて 主よ 主よと ただ呼ぶだけで つぎの言葉が出てきません 主よ あなたも 私と一緒に 泣いてくださるのですか/
イエスの弟子たちも、イエスが去って行くという耐えがたい試練を前に心は悲しみでいっぱいになっていた。しかし、イエスは弟子たちに希望のおことばを述べる。
*(ヨハネ16:20-22)イエスは人の最期に立ちはだかる「死」を打ち砕き勝利の主として弟子たちと再び会うと宣言された。イエスがよみがえられた日の朝。「死」を完全に征服されたイエスに弟子たちは再会した。イエスが神であることを知った弟子たちの喜びを奪える者は永遠に存在しない。源三さんもともにおられる主を詩に表している。「泣かないでください」 /母をうしなった わたしのために 泣かないでください もう泣かないでください 心の中は 不思議なくらい静かなのです キリストが 私とともに おられるからでしょうか。/地上にある限りキリスト者の戦いは続く。しかし、よみがえられたイエスは今私たちとともにおられる。神はイエスを信じる者の味方だ。源三さんの詩とともに復活の主、麗しいイエスを褒めたたえる。「こんな美しい朝に」/こんな美しい朝に 空には 夜明けとともに 雲雀が鳴き出し 野辺には つゆに濡れて すみれが咲き匂う こんな美しい朝に こんな美しい朝に 主イエス様は 墓の中から 出てこられたのだろう/