2022年4月17日 基督聖協団目黒教会牧師 都丸道宣
「信仰の試練を越えて」創世記12章5-9節
アブラムの旅は目的地カナンへと入りました。ハランの人たちもアブラムたちに加わり、魂を一つにしてついてきました。まずは祭壇を築いています。モレの樫の木は、この地方の神木です。宗教的中心であり、占い師たちが力を振るいます。敵対する人々の真ん中で主はアブラムに直接現れ、語られます。「わたしは、あなたの子孫をこの地に与える。」祭壇はその応答でした。大胆なスタートです。入植して間もなくのことでした。何を食べて、どんなところに住んで、何を生業にしていくか、分からないうちに礼拝から始めたのです。旅は次の地へと進みます。次に選んだのはベテル(神の家)とアイ(廃墟)の間でした。祭壇を築き、祈りがささげられます。信仰生活がより具体化していきます。土地の人々も神を信仰する者の姿を目の当たりにしたことでしょう。しかし、神の家(ベテル)と廃墟(アイ)の間とは、モレの神木からは離れています。さらに歩みを進めたネゲブに至ると祭壇を築きません。どうしたのでしょう?故郷を離れ、今になって不安と恐怖に苛まれたのでしょうか。約束の地と言う割にカナン人住んでるし、異教の礼拝盛んだし…。「しかし、実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は彼らの神と呼ばれることを恥と思いませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。(ヘブル11:16)」アブラムの旅はまだまだ続きます。様々な失敗もあります。が、そのたびに信仰の成長を遂げていきます。彼の目に見えているのは天の故郷。主が試練を与えるのは、私たちの信仰が成長し、キリストに似た者へとなるためです。その最短距離を主は知っておられます。その方向性をはっきり掴むなら、旅の中、人生の中で、どのような恐れや不安に襲われても、立ち上がり、新たに一歩踏み出すことが出来るのです。主イエスが復活されたのは、信じる私たちが揺るがされない者となるためです。家族や人間関係の諍いも、病も貧困も、戦争も死さえも、主と共にあって、恐るるに足りない、と宣言出来る者となるためです。試練はまだあります。続きます。失敗も敗北もあることでしょう。しかしアブラムもそうであったように、そこに留まらず越え、再び主の前に立つとき、真の礼拝者として、復活の信仰の真髄を味わうことが出来るのです。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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