2022年4月3日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「終わりに言います」エペソ6:10~16
エペソ人への手紙は、パウロ書簡の中で最も感動的な手紙だ。パウロの信仰と思想が見事に要約され、泉のように滾々と溢れ出ている。「今は悪い時代なのだ」とパウロは訴える。時は紀元1世紀の半ば、世界はローマによる平和により一応は治められていた。だが平和であっても良い時代ではなかった。ローマによる平和は人の心に油断を誘い、人間の心を魂の芯まで蝕んでいた。飽くことのない肉の欲、金銭への執着、果てしない享楽の追求、傲慢と争い、無慈悲と愚かさ…。人間のあらゆる醜悪さが大手を振って白昼堂々まかり通っていた。だが暗黒は人々に光を求めさせる役割を担った。醜さは美しさを、争いは平和を、敵意は和解を、怒りは赦しを、無慈悲は愛を、傲慢は優しさを、愚かさは賢さを、享楽は魂の充足を…。世界が暗ければ暗いほど一筋の光はいよいよ輝きを増していった。教会に届いたパウロの手紙はその一筋の光だった。「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」(2:3)。だが神から離れていた者たちが「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された…」(2:13~15)と力説する。加えてパウロは異邦人に説く。「あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」(2:19)。では「神の家族」の資格とは何か?「…古い人を脱ぎ捨て…神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきこと」(4:22~24)。「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去り…お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(4:31~32)。そして「神の家族」に到達するためには、強くなければならないと訴える。「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められ…神のすべての武具を身に着けなさい。…腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはき…これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」(6:10~16)。パウロがエペソに姿を現したのは紀元52年頃であり、人々の魂の果てをじっと見つめながら「古い人を過ぎ捨てよ!」と訴えたに違いない。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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