2022年3月27日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
「信仰がもたらす希望」創世記11章27節〜12章4節
私たちが救われたのはそもそも私たちが特別とか信仰深いというより、神のあわれみによる、というのが大きい。私たちの権力や能力も関係なく、神のあわれみが私たちを選び、私たちは救われました。アブラムが選ばれたのもイスラエル民族を通した救済計画も、神の一方的なあわれみによるのです。しかし一方で、アブラムの信仰による応答があったのも見過ごせません。テラを含むアブラム一行の旅は信仰の応答により始まりました。そして、その旅路の果てに、信仰の父と呼ばれるアブラハムがいます。テラが息子ハランを失ったことはこの旅のきっかけとなりました。その痛みにテラの信じた月の神は何も答えなかったのでしょう。このとき旅に出るアブラムの異母兄妹であり、妻のサライは不妊の女でした。しかしこのことはその後のアブラム夫婦の信仰成長に欠かせない要素となってきます。逆境は信仰のつまずきではないとはっきり言えます。ハランの息子ロトも伴ってのカナンへの旅が始まりました。「カナンへの」、とありますが、実際には、アブラムはこのとき、行く先を告げられてはいません。行く先は知らないで神に従う、という信仰の応答をここで見ることができます。知らない土地への旅、親しい人たちとの別れ、信仰とはしばしば旅にたとえられます。神以外の信頼しやすい、または信頼してしまっていた全てから離れる。土地や親族や父の家、というのは普段は信頼していて概ね不安を感じることはないものですが、天災や事故や事件が起これば決して信じ続けられるものではありません。揺らぎ始めます。しかし、主にはいくら頼り切っても委ねきってもがっかりさせられることはありません。ただ、もし私たちが他の何かにいくらか頼りながら主に信頼しようとしても、それは適わないことがあるでしょう。私たちは同時に2つを信頼することが出来ないのです。アブラムは旅に出ました。それは多くの祝福が約束されたものでした。しかし、一歩踏み出すことなく、それらは得られません。その一歩は確かに踏み出されました。その先にはイエスがいます。異邦人である我々の救いがあります。75歳での新たな旅立ちです。それまで信頼していた全てとの別れの旅路です。私たちも信仰による希望を得るためにはこのような大胆なスタートが必要です。大切なもの、大好きなものをひとまず離れて、私たちをより祝福したい、より平安を与えて、霊的な幸せを約束してくださる、大好きな主へと、新たな一歩を踏み出してはいかがでしょうか。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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