2022年3月6日 聖協団目黒教会牧師 都丸道宣
セムの歴史 創世記11章10-26節
バベルの塔事件が起こり、神はこの世の権力が間違って使われるとき、介入されるのを見てきました。弱い者の叫びを聴いてくださり、待ち望むなら必ず御手を動かして下さるお方です。そのような事件の裏でひっそり神の救いの計画が進んでいました。アブラハムへと引き継がれる信仰が育まれていたのです。アダムの楽園追放があり、ノアの箱舟ではノアの家族以外は全て滅びました。生めよ、増えよ、と地上に広がることを期待された人類は一箇所に集まり、塔を立てて、神の高みを目指しました。言葉が乱され、土地は分割され、人々の多くは混乱しましたが、セムの家系ではアブラムに繋がり、やがてメシアに繋がる系図が描かれていました。一代に一人が載せられた、頼りなく見える系図ではありますが、権力も名誉も響き渡らない、つまりサタンの興味のそそられないところに救いが確実に備えられていったのです。罪は世代を経るごとに継承され、累積していくように思います。婚姻関係を軽んじる両親の元で、結婚を重んじる子どもが育ちにくいように、罪は軽んじられ、罪意識は薄くなっていく、ということが起こります。善というのも同様に積み重なることがあるとすれば、セムが親の恥ずべき姿を蔑まなかったのなら、世代を経て、より善に親しく、神を尊ぶ資質が育まれていってもおかしくないわけです。アブラムの父は月の神を信仰する者でしたが、アブラムと共に旅に出ることで土着の信仰から離れ難いわけではないことが分かります。セムから10代。アブラムは民族の散らされた大地に登場しました。一つの民族を選び、カナンという土地で救おう、というプランを神から受け取ります。一つの系図を通して、人々の救いを計画し、見放さず、愛をもって導いてださっていた神の姿が見えてきます。メシアが来られるまで、その導きは絶えることなく続くのです。私たちの信仰もそのように長く守られ繋げられてきたものです。続きましょう。次世代へと繋げていきましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です