2022年2月27日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「献身」 ローマ6:12~14
ひとりの人アダムの背きにより、罪と死は、全人類を支配することに成功した。人は呪いと絶望に縛られた。神はご自身の創造された人類を救い出すため、ひとりの人を世に遣わされた。神の子イエスである。このお方の献身により、救いの道は開かれた。 イエスの献身は一言で言い現わせない。神の子としての地位と栄光を捨て、神から見捨てられ、呪われた者となった。心も身体も痛みを負い、血を流した。イエスの献身はご自身の意思を捨てた完全なものであった。イエスは十字架の上で全人類の罪を背負い、処罰された。私たちの罪はイエスとともに処刑され、罪から解放された。イエスの完全な献身による罪からの救いは完全である。このイエスの開かれた救いを信じる私たちに対し、罪に定め、死を宣告するものは無い。イエスの救いは完全である。私たちが罪からの自由を得たのは、神のために生きるためだとパウロは述べている。私たちの神は人と契約を結ばれた。その契約は、同じ立場同士の者が結ぶ契約ではない。人を創造された優越者と、罪人なる劣等者。支配者と披支配者との間で結ばれる契約である。神は罪人アブラハムを選び、契約を結ばれた。彼の神にすがる信仰をご覧になり義と認められた。神とイスラエルは契約を更新し続けた。神はイスラエルに律法を与えた。律法のみ教えは、神を愛し神に従うことを命じた。イスラエルはこのみ教えに背き続けたが、人の不真実に負けない神の真実がイスラエルを救い続けた。彼らが神に背くときに与えられた裁きは、神に立ち返る機会となった。神は立ち返るイスラエルを何度でも御手で救い出し、見捨てることはなかった。人は神を愛して従う義務がある。神はこの世の独裁者のように人を支配しない。人は神に従うか背くか、どちらかを選ばなければならない。神に従う選択をした人は幸いである。神に従わなければ味わうことの出来ない喜びがある。その喜びは人に真の充足と平安、喜びを与える。それはこの世の与える喜びとは異なる。もし神のみ言葉を頂き、聖霊の導きを感じているなら神に従うべきだ。イエスを通して人と新しい契約を結ばれた神は、イエスを通して命じられる。わたしの愛にとどまり、隣人を愛しなさい。神のみ教えは旧約から新約へと、少しもぶれることなく貫かれている。 神に選ばれた者たちは、差し出されたイエスの御手にすがりつつ、み教えの道を歩む。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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