2022年1月30日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「再臨とイスラエル」 黙示録22:20、詩篇122:6
内村鑑三は〝我が愛する二つのJ〟JesusとJapanのため、私の命を捧げようと訴えた。昭和8年、ホーリネス教会で分裂事件が起きた。昭和5年のリバイバル、その解釈の相違が原因だったろう。「救霊、教会成長」と受け止めた側と、「新しい終末の光」と解釈した側との相剋であった。分裂事件の前後、日本国家は危機を迎えていた。浜口雄幸首相が極右社員に狙撃され、政党政治への不信が高まった。昭和6年の満州事変、犬養毅総理、大蔵大臣、三井財閥のトップ・團琢磨の暗殺、内大臣官邸、政友会本部、日本銀行、三菱銀行、警視庁などへの同時多発テロ、上海事変、226事件、ヨーロッパではヒトラーが政権を握り、ユダヤ人の絶滅計画が進んでいた。…。教会はとんでもない時代の真中に置かれていた。この国難のとき、教会ではリバイバルの解釈をめぐり、両陣営が睨み合った。アホすぎる話ではないか。ある日、イエスはピリポという男と出会った。「わたしについて来なさい」。いきなりそんなこと言われても困ってしまう。親友ナタナエルのもとを訪ね「俺、イエスって人と出会った。弟子になれって言うんだ」と相談した。そのときナタナエルは無花果の木の下に立っていた。無花果の木の下で考え込む姿は、神への語りかけを意味する。ナタナエルは、ローマ帝国の占領地となった祖国の現状を、独り嘆いていたのかもしれない。彼もまた、キリストと祖国のため、生涯を捧げる人であった。「まあ、一緒に来てくれよ」。イエスは二人を見た途端「ナタナエルよ。あなたは真のイスラエル人だ」「どうしてわたしのことがわかるのですか?」「わかるさ。あなたが木の下にいたのをわたしは見たのだから」。神に向かって祖国の現状を、独り訴えるナタナエル。その〝愛国心〟をあのお方に見抜かれ(この人なら、日ごろの俺の悩みに応えてくれるかもしれない)と察知したのだろう。ピリポとナタナエルはふたり揃って弟子となった。ホーリネス教会トップが解任される事態に至り、中田師は内村鑑三と手を組み再臨運動を展開〝此の火〟の活路を見出して行く。中田師と内村鑑三、きっとピリポとナタナエルのような関係だったのだろう。「わたしについて来なさい」「はい、わかりました」。ふたり揃ってあのお方について行った。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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