2021年12月19日基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「イエスの誕生」 マタイ1:1
ダビデの血筋、イエス誕生の系図の中で〝取り返しのつかないことなど人生にはいくらだってある〟と思わせるのが「エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ…」(1:6)である。ある日ダビデが王宮の屋上からエルサレムの町を眺めていると、美しい女が目に飛び込んだ。ウリヤの妻バテシェバである。いくら権力者とはいえ、家来の妻に手を出すなど不可解だ。バテシェバは「子どもができました」とダビデ王のもとへ伝えてよこし、この事件、血筋の延長線上に、あのお方が誕生した。イエスが処女降誕されたのは、罪にまみれた忌まわしい人間的戸籍、系図を捨て、罪人と一線を画するためだったとの聖書解釈がある。あのお方が、忌まわしい人間的戸籍、系図を捨てようとされたのだろうか。このメッセージでは、生きることも死ぬこともできない、と私は思った。罪人と一線を画するたではなく、罪にまみれた私とともにおられるため、私の戸籍に、人間の系図の中に入って来て下さった。このメッセージなら、生きることも死ぬことも出来る。同じ戸籍、系図に入るとは、恥も名誉も一緒に背負うこと。日本の昔の民法でも、父親が罪を犯すとその子の戸籍謄本には、父親の犯罪がついてまわった。前科者の父親を持つ赤丸がつきまとった。子は親の罪を背負って生きた。それが同じ系図に入ることの意味だった。「ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ…」(1:6)。こうした出来事を背負ってあのお方は生まれてきた。愛される価値のない者をも愛する。このメッセージをたずさえ、おのお方は私の前に現れた。取り返しのつかないことなど人生にはいくらだってある。その赤丸を、取り返しのつかないことを、あのお方はあなたとともに背負い、同じ戸籍に入って共に歩まれる。洗礼式で思うことがある。(本当に受けるのか?これからは自殺だって離婚だってできなくなるんだぞ。一度選んだ人生、一度選んだ人間を捨てられなくなるんだぞ。あのイエスという男から永遠につきまとわれるんだぞ。その男は、お前さんが突き放しても突き放しても、うしろからトボトボついてくるぞ。向こうもお前さんを捨てないが、お前さんだって結局彼を捨てられなくなるんだぞ…)。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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