2021年11月21日 聖協団目黒教会 都丸道宣牧師
主題 敬虔といのち 創世記 8章13節-9章7節
ノアは約一年ぶりに地面を踏みます。神様の合図があったので、船から外に出ていくにも安心があります。その第一歩は礼拝によって踏み出されます。巨大な船を背に、神に感謝を表したいと、祭壇を築きます。およそ一年の旅路を守り通してくれた船には感謝も畏敬もありません。私たちはしばしば、自分を今の場所まで導いてくれたものや人に感謝を捧げることを第一にしてしまいます。お世話になった人、大事な局面で活躍してくれた乗り物やテクノロジー、機会を提供してくれる会社や組織。自分が何かによって守られたとき、感謝の対象は神様以上にそれらに向いてしまいます。大木や偉人を感謝のあまり、祭りあげてしまうことさえあります。ノアは神様にささげることから始めています。罪の赦しを乞い、救いの喜びを表し、献身の覚悟を献げています。祭壇を築いて、聖い動物を焼いて主に献げました。聖い動物とはただ聖いというだけでなく、食べられる動物でもあります。また家畜として生活の支えにもなるので、これから新しい生活を考えると惜しいと思える存在です。が、その必要なそれらを焼いて主のなだめとするのです。私たちの生活にはそのような優先順位があるでしょうか。これからの新しい生活に必要なものでも神様のためならとささげられるでしょうか。一番世話になった組織や会社や人のことを思うより、神様への感謝が先に思い付くでしょうか。イエス様はそうされています。全てを神にささげられました。ノアが船から出て来たときに、生めよ、増えよ、地に満ちよ、と神様から祝福の声がかけられました。と同時に、血に関して、いのちに関して、どれだけ大切に思っておられるかを明らかにされています。私たちが心に留め、記念とするのは巨大な船ではなく、それがたどり着いた場所でもなく、神の愛です。人の血は流してはならない、それには深い責任が伴う。そう宣言された主は大切なひとり子を十字架につけて殺されました。血はどれだけ大事か、それを軽んずることはどれだけ悲しいことかを宣言し、御子を公の場所で、血を流して失いました。それによって、私たちは罪深さを知り、愛を知るのです。犠牲にされた子羊が、今は復活され、私たちと共に在ることを知るのです。地球規模の大洪水の災害よりも凄惨な、神のひとり子の犠牲によって、私たちは救われ、平安が心にあるのです。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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