2021年10月17日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「天の御国のかぎを上げます」 マタイ16:18~19
聖書は私たちが慣れ親しんでいる欧米的な論文のように、テーマを掲げて論考を重ね、結論に至るという体裁を採っていない。どこを切っても見事な金太郎飴で、背負った疑問の答えは難しいものではない。答えの入ったドアに鍵がかけられている。難しいのは答えではなく、鍵の開け方だ。「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。…わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます」(マタイ16:18~19)。ガリラヤ湖畔で、復活のイエスはペテロに尋ねる。「あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しているかな」。「もちろんです」。「では、わたしの羊を養いなさい」。再び「ペテロよ。わたしを愛しているかな」と繰り返す。「もちろんです」。「では、わたしの羊の世話をしなさい」。さらに三度「わたしを愛しているかな」。「もちろんです」。「では、わたしの羊を飼いなさい」。ペテロ第一、第二の手紙はローマで執筆されたと考えられている。この時期、パウロもローマに来ていたから、二人はあいまみえることもあっただろう。時代はイエスの教えがローマに広がり始めた一世紀の中ごろ、帝国は暴君ネロの統治下にあり、キリスト教徒弾圧が始まっていた。そのとき、ペテロは迫害を恐れてローマの街を脱出、アッピア街道を南へ急いでいた。〈クオ・ヴァディス〉の伝説は、多くの人が知るところである。ローマの街を脱出するペテロ。突然、朝霧の中に復活のイエスの姿が浮かぶ。ペテロは驚き、叫ぶ。「ドミネ・クオ・ヴァディス?」。「私の主よ。どこに行かれるのですか?」の意味である。答えるイエス。「ペテロよ。お前がわたしの羊たちを見捨てるのなら、わたしはローマに行き、もう一度十字架にかかろう」。ローマの教会には、多くのイエスの羊たちが残っていた。それを見捨ててはなるまい。ペテロは恥じて、いま来た道を引き返す。バチカン市国の中心にあるサンピエトロ寺院は、その名の通りペテロの墓の上に建てられた教会だが、その広場には天国の鍵を握ったペテロの像が立っている。「わたしの羊を飼いなさい」。のるかそるか、もう後はない。ローマの教会に戻れば死ぬよりほかにない。だがローマ教会に戻れば、御国の永遠の富が私のものになると、ペテロは雄弁に自らの心に言い聴かせ、信じ込ませただろう。そして、神は、その確信を裏切らなかった。なぜペテロはローマに戻ったのか?それは、御国の鍵を与えられていたからに違いない。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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