2021年9月5日 基督聖協団目黒教会 都丸道宣牧師
主題「希望という名の種」創世記4章17-26節
カインは神へのささげもののことでアベルに嫉妬し、殺害しました。その罪はあまりに重く、カインは主に憐れみを乞います。殺人を犯した自分を守ってくださいと願うと、神は願った通りに彼を守ることにします。そこから東へとさ迷い出たカインは町を造ります。さ迷い続けるように神様に言われましたが、神に従順ではない集団を形成し町を作ったのです。息子の名前は「ささげる」という意味のエノクと名付けますが、もはやカインの心に神はおられません。
息子エノクにはイラデ、イラデにはメフヤエル、メフヤエルにはメトシャエルという子どもがそれぞれ生まれました。信仰がどれほどあったのかは分かりませんが、メフヤエル、メトシャエルの名前には、エル(神という意味)が使われています。
しかし、メトシャエルに生まれたレメクは妻を二人めとり、神をいちじるしく侮っています。自分を傷付ける者がいるなら77倍復讐してやる!と、周囲を脅します。カインに対する敵には7倍の復讐をするという神様の約束に絡めて、自分の方が武力も権威も勝っていると誇っているのです。
カインのための復讐とは神様の憐れみでしかありません。イエス様が弟子にこのように聞かれたことがあります。兄弟が自分に罪を犯したら7回は赦した方がいいでしょうか。イエス様は答えます。7回までとは言いません。7を70倍するまで、つまり、何度でも、永遠に赦すのです、というのです。十字架につかれるときもイエス様は、その刑の最中も死に至るときまでも、一度も復讐するとは仰られません。赦すことが心にあり、その中心には平安があります。恐れがありません。恥も蔑みも復讐する動機にはなりません。
しかし、怯える心には復讐の動機がいくつもあります。恐怖を少しでも与えてきたら、恥かかせたら、赦しちゃおけん!というのです。恐怖に駆られた町の城壁は高く、外部を寄せ付けないばかりか、近親者にさえ恐怖し、脅します。自分の成果、実績だけを自分の目の前に自分のために積み上げます。
神様の喜ばれる成果は目に見えません。アベルが信仰のゆえに殺されましたが、彼の神へのへりくだりは義と認められました。アベルの変わりにアダム夫妻にはセツが与えられます。信仰者の系譜の土台となるべきセツとその息子エノシュの時代に神の名を呼ぶ礼拝が始められ、アベルの信仰が回復していきました。
エバは新しい子孫(種とも訳せる)への希望を見ています。救い主がやがて、いつの日か必ず来られることを確信しています。信仰者の系譜に連なる者は、救い主がサタンの頭を打ち砕き、全ての絶望、困難を打ち砕いてくださることを待ち望みます。
私たちも、神への期待を受け取りましょう。初めは小さな種のような希望ですが、それが必ず実ることを願い求める信仰者の系譜へと、名前を連ねさせていただきましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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