2021年6月27日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「〝かけがえ〟のない救い」 使徒4:12~13
人生劇は序幕から終幕まで、人間だけを登場させるキャスト(配役)でどうにかなるのだろうか?神の出る幕は、ついに無いのだろうか?「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(Ⅱコリント1:8~9)。パウロは、神の出る幕について語る。この手紙は、マケドニア州滞在中、パウロが執筆したものだ。この時パウロはイエスの霊に導かれ、ギリシャ本土での宣教の必要性を痛感し、行程を西に延ばしてピリピの街に入った。ピリピはマケドニア州第一の都であり、ローマの植民都市として大いに栄えていた。ここで事件が起きる。女占い師は、悪霊の力で占っていたのだろう。パウロが悪霊を取り除いたため、占いができなくなった。彼女の占いで儲けていた連中の怒るまいことか。パウロたちを捕まえ、むち打ち、投獄し、あとは死刑宣告を待つばかり。ところが夜中に地震が起きる。奇跡だ!牢獄の戸がすべて開き、手を縛った鎖が切れ、足枷も外れ、囚人たちがいっせいに逃げ出すではないか。牢獄の看守は(こりゃいかん。もうダメだ)、職務怠慢の罪で処刑されることを思い、絶望のあまり自殺を試みるが、パウロが止める。「いのちを粗末にするな!」「先生方、救われるためには、どうしたら良いでしょうか?」「主・イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」。この夜、看守もその家族もイエスを信じて洗礼を受ける。人生には、この救済策、あの救済策、すれらすべてが焼け落ち、間に合わなくなる時がある。「救われるためには、どうしたら良いでしょうか?」。うち打たれ、投獄され、あとは死刑宣告を待つばかり。こうした状況に救いがあるとすれば、地震が起きる、牢獄の戸が開き、鎖も切れ、足枷も外れる。かけがえのないキリストの救いとは、このようなものである。キリストの救いは他に代わるもののない、〝かけがえ〟のないものだ。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒4:12)。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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