2021年6月13日 基督聖協団目黒教会 都丸道宣牧師
主題「これこそ、ついに」創世記2章10-25節
エデンには大きな川が流れていました。園には水が豊かに流れて込んでいます。そこにアダムを安息させるために連れて来ました。安息の中で仕事が与えられます。地を耕し、守るという仕事でした。きつくて終わらない仕事ではなく、やりがいのある、簡単な作業です。奉仕のように喜びが伴います。一つだけ禁止事項が言い渡されました。愛と恵みを注ぎ、食べ物と住むとこ意してくださったお父さんからの最初の禁止事項です。それをすると死んでしまう、人にとって良くないことが起こってしまう、というので、真剣に聞いたことでしょう。また、「一人でいるのは良くない、助け手を造ろう」と言われますが、すぐには与えられるず、動物に名前を付ける仕事でしばらく過ごすことになります。全ての動物に心を込めて名前を付けていきます。その間に、おそらくうえ渇きを覚えまたのではないでしょうか。つがいで現れる動物たちと対面しながら、一人でいるのは良くない、という意味を深く考えたことでしょう、眠気に襲われます。寝ている間にわき腹から骨と肉をとって、一人の人間を備えられました。それに女と名づけたアダムは歓喜に満たされました。エデンという名には楽しみという意味もありますが、その「楽しみ」が園に満ちた瞬間です。労働の助けではなく、霊的な一致のための助け手です。神をあがめ、ほめたたえ、人に神に仕えるための助け手です。二人は一体となって、神をたたえ、神と一体となる礼拝を建て上げるために備えられたのです。さらに、二人は裸でしたが、互いの間に恥ずかしさが無かったといいます。罪がなく、汚れがなく、純粋に互いを愛し、神様を愛することが出来たからです。私たちもこの純粋さを求めたいと思います。愛する神さまが創られたこの世界を喜び、与えてくださった仲間を愛し、自分に出来る奉仕を、こころを込めてささげたいと思います。神様の前で、恥ずかしいことがないようにありたいと思います。見せたい部分も隠したいところもあります。しかし、隠したい思いがあって、赦しをいただかなくては神の前に出られない、というところがあるなら、しっかり告白して赦しをいただいてから、神様の輝きを、私たちを通して、さらに輝かせることができるよう求めていきたいと思います。やがて、「これこそ、神様の栄光。ついに、私を通してこの世界に輝かせることが出来た」と、最高の喜びに仲間と共に満たされる日を待ち望んで祈っていきましょう

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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