2021年4月11日 基督聖協団目黒教会 都丸道宣牧師
「神の栄光のなか、みわざは輝き」創世記1章3-13節
創世記1章1節と2節のあいだにはサタンの堕落があると言われています。天と地が創造されて、天使たちもそこで神さまの用事を仰せつかっていたことでしょう。サタンは神の園、エデンという宝石に囲まれた美しい場所で役目を担っていましたが、神よりも高い王座を欲したため、神様に落とされます。高慢が彼を捉えたのです。そのため、地には茫漠や虚しさが訪れてしまいました。しかし、神様の計画はそこで終わりではなく、人間の創造に向かって、第一日目の創造をスタートします。一日日は光と闇の創造でした。神さまが命令されるとそこに光が出来ました。光と区別され、闇も創造されました。言葉によってそれは存在するようになりました。「あれ」という命令の言葉は神様が人間に自分を現わされたときに「わたしはあるというものである(ヤーウェ)」と言いましたが、それと同じルーツの言葉です。そこに在る、というのは神様から肯定されて存在している、ということで、全ての人間も動物も植物も、神様の承認があって初めてそこに存在できるのです。私たちは無生物から偶然に導かれて何億年もかけて人間になってきたのでもなければ、優生だから生き残ったのでもありません。この世を造られ、わたしはあるというものである、とご自身を存在によって言い表したお方の承認があってここに在るのです。意味があり、価値があるのです。そんな私たちのために地球という環境は整えられ、そこに安心して住んでいられるのです。第1日目に創造された光とは神の栄光でした。パウロを悔い改めに導いた神の栄光です。人生を輝きに導く神の栄光です。宝石の輝きでもなく、人の注目を集める高い地位や高い教養という栄誉でも栄光でもありません。高慢になるための光ではなく、へりくだるための光です。愛する者となるための導きの光です。その輝きの中で創造のわざは進められ、3日目までに大空や海や陸や植物が創造されていきました。私たちもその光の中で闇の影響力に屈せずに歩んでいきたいと思います。創造によって生み出された世界には、人間にとって良いものだけが存在しているわけではありませんが、人間には逆境も必要です。神様が「良し」とされたものしかない世界の中で、自分に備えられた良い実の育つのを期待しながら、神の栄光に照らされて、できることなら反映させる者となりたいと思います。へりくだり、ひざまずき、神様こそ救いであることを高らかにほめたたえながら。 

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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