2021年3月28日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「悪と救いの歴史」  ローマ3:25
南王国ユダに現れた王は、レハブアムに始まり総勢20名。ハーレイの聖書ハンドブックでは、歴代の王を9つのランクで評価する。20名の王の評価は以下の通りだ。巨悪、巨悪、善、善、悪、悪、悪魔的、善良、善良、善、善、邪悪、最善、最悪、最悪、最善、悪、邪悪、悪、悪。一方、北王国イスラエルだが、歴代の王はヤロブアムに始まり総勢19名。全員、金の子牛を神とし、バアル神に仕え、国民をまことの神のもとに連れ戻した王は一人も現れなかった。19人の評価は以下の通りだ。悪、悪、悪、悪、悪、極悪、最悪、悪、巨悪、巨悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪。とてつもなくひどい。〝悪魔的〟評価の女帝アタルヤにいたっては例外的に悪い。滅多に実在する性格ではない。人間の罪は、神の怒りとなり、洪水となって、人類は一度、滅びたことがある。洪水が引いた後、神は人間と契約を交わす。空の虹は神と人間との契約のしるしとなった。「主は…仰せられた。『わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。』」(創世記8:21)。これは〝神の忍耐〟であり、怒りの発動の一時的停止である。〝虹の約束〟以降、世界の歴史は〝神の忍耐〟のもとに存続してきたと考えられる。パウロの言葉を借りれば次のようになるだろう。「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。…というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです」(ローマ3:25)。〝神の忍耐〟が、救いの全き姿でないのは言うまでもない。完全な救いの成就は、虹の代わりに十字架が立てられる時だ。神は今日も忍耐しながら、極悪、最悪を、十字架のもとへ招いておられる。悪人は、神の忍耐のもと、滅びを免れ、今日まで存続してきた。滅びどころか「主よ…一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか」(エレミヤ12:1)と、そんな実情でこの地は大いに満ちている。極悪、最悪の町、ニネベに遣わされたヨナは最後神のみこころを知る。「ヨナよ。お前は…植物の葉が一晩で萎れ、滅びたのを惜しんでいる。ならばどうしてわたしが、この大きな悪の都ニネベを惜しまずにいられようか。大勢の人間…みんなわたしが命を与えたのだから」。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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