2021年3月7日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり

「神の義」  ローマ3:21~26

神の義は、契約を守らなかったイスラエルと罪の中にある全ての人間に対して救いと回復を提示する。律法は人を義とすることが出来ない。人は律法を守れないからだ。神は律法ではない方法で、神の義によって人を罪から救い出された。イエスはその神の義を信じた。十字架の上で全人類の罪を負い、呪われた者となり神の裁きを受けられた。イエスは栄光に輝く神の御臨在から離れ、黄泉に下る恐怖に悶え苦しまれた。イエスはその苦しみの中でも神を信じたのだ。そして神はイエスを死者の中から甦えらせた。神の義は何ものによっても崩されることはない。 全ての人は罪人で、神の御前に立てず、神を見ることもかなわない神の義から遠く離れた者だ。神がご自身と相入れない人間に対し、ご自身の契約を破り続けたイスラエルに対し、なお救いを差し出される行為は神の義に反するのではないか。神の知恵は、とき至り、神の義を明らかにされた。アダムが神に背いた直後から、神は人類を救う唯一の方法を用意しておられた。ご自身のきよさも義も冒すことなく、人類を魂の滅びから救う方法。それはイエスを全人類の罪の身代わりとして裁くことであった。神の独り子の血が十字架の上で流された。その血には、イエスの父なる神への信仰と、神との断絶、苦しみの叫び、涙が込められていたに違いない。神に従順を尽くされた罪のないお方の尊い血を、神はなだめの供え物としてお受けになられた。 神はこの人類救済の方法を旧約の時代に予め現されていた。イスラエルでは動物の血により、繰り返し罪の贖いが行われていた。だが動物の血は、人の魂をきよめられなかった。イエスが流された血によって、きよめられない罪はない。神の独り子が流された尊い血である。神はイエスの血が流されることにより、ご自身の義を現された。そしてイエスを信じる人を義と認められるのである。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です