2021年2月28日 聖協団目黒教会 都丸道宣牧師

「勝利、イエス様が一番」コリント人への手紙第一 15章54-58節

どんなに寂しいときにも、どんなに悲しいときにもイエス様が一番、イエス様が一番。たとえそれがどんな場合でもイエス様が一番イエス様が一番。だってイエス様は神様だものだってイエス様は神様だもの。幼稚園のそばを通り過ぎると小さな子供たちの歌声が聞こえてきました。パウロの手紙に溢れているのはこのことをどの信徒も心の底から言えるようになって欲しいという願いです。そのために熱心に神様の愛を語り、イエス様との日常のやり取りによって満たされましょう、と語りかけているのです。イエス様が一番であり、この真実に変わるものはありません。「死は勝利に呑みこまれた。(54)」人生の中で苦しみの根源である死に対して完全な勝利をしたのはイエス様の十字架です。死への恐れは罪の力と繋がっています。律法が魂を責めて私たちをイエス様から引き離そうとします。他人を妬み、家族を憎み、兄弟をないがしろにして、友人をも裏切る。律法などは自分は守れているという自負はおごりとなり、自分は正しいが、他はどうだろうか、という裁きの思いに誘い、やがて人々の間に分断をもたらします。しかし私たちはへりくだらなくてはなりません。イエス様の前にただの罪人である自分自身の全てを打ち明けて、イエス様に愛を示すために、イエス様に愛していただくために、十字架の罪と一つになるのです。そして十字架に自分のいのちまで明け渡すのです。そうでないと、私たちは復活に与ることが出来ません。自分では最も正しいと思う自分自身でさえ神の正しさの前に汚れているのを認め、献げ尽くすことによって、真の義であるイエス様を着るのです。「この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき (54)」は来るのです。そのための労苦は主にあって無駄になりません。「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励(58)」むことが出来るように、労苦が積まれていくと、私たちは人生における最良の備えが出来るようになっていきます。大災害を体験した地域は、次に起こった災害をくぐり抜ける知恵を蓄えています。私たちが労苦をくぐり抜け身につけた備えによって私たちは信仰における揺るがない態度を身につけるのです。私たちは天に属する者としてこの地上に備えられています。創造の初めに天は造られました。その天に属しているという確信があるなら、闇に揺らぐことは決してありません。今こそ堅く立って、闇にある人たちの元に権威ある天来の輝きを届けに行きましょう。闇に囚われた人々が苦しみあえぎながら光の到来を待っています。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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