2021年1月31日基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司

「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」  マルコ12:14~17ヨーロッパ史に名を残す英雄カイザル(ジュリアス・シーザー)は、「賽は投げられた」と不退転の決意でルビコン川を渡り、小アジア戦線からは「来た、見た、勝った」と簡潔な書簡を送り、最期は「ブルータス、お前もか…」と嘆いて暗殺される。古代の戦争は儲かるものだった。カイザルはよく勝って、よく儲け、よく配った。だがローマの元老院はこれを共和制(国民主権)の危機ととらえた。カイザルに絶対的権力を持つ王としての野心があったのなら、共和制を必死に守ろうとした人たちにとって、カイザル暗殺は正義であり、ローマ市民に対して名分が立つ。しかし、その意思がなかったとすれば、ただの殺人であり、国家の重要人物を亡きものとする重罪だ。歴史はこの後、共和制を守ろうとするブルータスと、王になって勝手気ままをやろうとするアウグストが対立、ブルータスは潔い自害、アウグストが実質的な初代ローマ皇帝となる。神はいかなるお考えをもってか、このタイミングを、地上にキリストを遣わすチャンスと考えられたのだろう。歴史家ルカは、キリスト誕生の記録を次の言葉で始める。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た」(ルカ2:1)。ヨセフは住民登録のため身重のマリヤを連れ、ベツレヘムへ行く。住民登録は、課税の基礎資料とするためだ。皇帝アウグストは、ユダヤの住民から税金を絞り取る。税金と言えばマルコ12章だ。パリサイ人がイエスに尋ねる。「税金をカイザル(後にローマ皇帝の総称となる)に納めるべきかどうか」と…。「イエスは言われた。『カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい』」(マルコ12:17)。〝とりあえずこの世の務めは果たしなさい。しかし、神との約束を忘れてはいけませんよ〟の意味だろう。私たちの周辺にはそういう問題が多い。神の教えを信じるとしても、聖書の教えか、この世の決まり事か、現実の二律背反、両立困難に対し答えはない。そんなとき「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」と、そっと心の中でつぶやこう。皇帝アウグストによって始まったカイザルとしての帝政は、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロへと引き継がれる。帝政カイザルの継承は、血まみれのドラマであり、陰謀、裏切り、密告、報復、姦通、毒殺、あらゆる悪徳に満ちていた。今日、私が生きるこの世も、そんなものなのだろう。イエスは言われる。〝この世の務めは果たしなさい。だが、神との約束を忘れてはいけませんよ〟

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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