2021年1月24日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり

「律法の務め」 ローマ人への手紙3:9~20

パウロは選民ユダヤ人が決して他の民族に勝っていないと断言する。全ての人間が罪の下にあり、神から遠く離れて歩む道を選んでいると訴える。全ての人間が神の律法の下にあり、神のご意思がユダヤ人だけでなく、神に創られた全ての人間の心に書き付けられている。神が麗しいと思うものを人も麗しいと感じ、神がお嫌いになることを人も嫌悪する。そのような感性が生まれた時から心に植え付けられている。しかし人は律法を守ることが出来ない。神の喜ばれることを行う力がない。全ての人の心の中に書き付けられた神のご意思、律法は、人を罪あるものと断罪し、人に罪の自覚を与えるものとなった。イエスは弟子と群衆に教えられた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」。 詳約聖書は次のように訳す。「霊において自分をつまらないものと評価する謙遜な人は、うらやましい状態にある。霊的に栄えている。なぜなら天の国はその人たちのものだから」 。霊的に自分をつまらない者と評価する謙遜な人は神に寄り頼む。神にすがる者を神は決して見捨てない。神の子どもとされ、子として相続すべき神の国を得る。この神の国こそ人がこの地上にいる間、何としてでも獲得しなければならないものだ。だからイエスは、自分を霊的につまらない者と評価し、神にすがる人を「うらやましい状態にある、霊的に栄えている」と仰った。イエスは自分をつまらない者と評価する謙遜な人に対してとても優しかった。サマリヤの女。ザアカイ。ひれ伏して病の癒しを求めた者たち。指導者たちから罪人と呼ばれていた者たちの心に寄り添われた。律法は人々をイエスの元に連れて行く役割を果たしている。イエスは、神のご意思を骨抜きにした律法を教え、人々をしきたりで縛り付けたパリサイ人、律法学者を偽善者と呼び、厳しく断罪してその罪を責められた。彼らは宗教的指導者として人々から崇められ、権威ある座に君臨していた。外見的には神を敬い、謙遜を演じていたが、自分の名誉と人からの賞賛を愛する者で、神の愛を知ることもなく、神を愛することもない神のご意志から遠く離れた者だった。律法の背後にある神の御意志を悟ることが無かった。イエスは偽善に注意するよう弟子たちに繰り返し教えた。偽善は全てのクリスチャンが陥りやすい落とし穴だ。神の御意志である律法を行うことによっては誰も救われない。神の御意志に従うことが出来ない私たちのために、イエスは身代りとなって十字架にかかり、私たちの受けるべき罰を代わりに受けて下さったと信じ、神にすがるものを救って下さる。神を愛し、イエスさまから目を離さず生活することは私たちを偽善という落とし穴から守ってくれる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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