2021年1月3日基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司

「義と赦し」  ガラテヤ3:13

古賀メロディーに「人生劇場」がある。〝俺も生きたや 仁吉のように 義理と人情のこの世界〟 仁吉とは、清水次郎長の子分として、荒神山の争いで壮絶な死を遂げた、義理人情に生きた博徒である。義理人情に生きた仁吉が、理想像として歌われている。「義理」とは、義を通すこと、正しきことを正しいとすることだ。旧約の律法にあたるのではあるまいか。「人情」は、赦し、福音に近いものを感じる。マテオ・ファルコネがいた。舞台はコルシカ島。マテオは精悍でたくましい。固い心情を抱き、誇り高く生きている。そのマテオ夫婦に男の子が誕生し、ファルチュナートと名づけられた。ある日のことだ。マテオが妻と出かけ、少年は留守をゆだねられる。そこへ知らない男が駆け込んで来る。兵隊に追われ、傷ついている。逃亡者らしい。「兵隊に追われている。かくまってくれ」。強気をくじき、弱気を助ける義侠心に富んだマテオなら、自分をかくまってくれると信じて逃げ込んで来たのだ。ところがマテオは留守である。「隠してやったら何をくれる?」「かねをやろう」。少年は男を干草の山の中に隠す。間もなく兵士たちが現れ、「男を見なかったか?」と尋ねる。「知らないよ」と訴えるが、隊長は何かを隠していることを見抜いている。ポケットから銀時計を出してちらつかせる。少年はそれが欲しくなり、干草の山を指さす。そこへマテオが妻と一緒に帰ってくる。隊長が「逃亡者を捕まえた。干草の中に上手に隠れていたが、あんたの息子が教えてくれた」。連行されていく逃亡者が敷居に唾を吐き「ここは裏切り者の住む家だ!」と罵る。マテオは妻に「この子は本当に俺の子か?」と尋ね、「そうよ」「となると、こいつは家の血統に出た初めての裏切り者だ」。マテオは息子を引き連れ、谷間に生き「ファルチュナート、あの大きな石のそばへ行ってお祈りをあげな」「パパ、パパ、勘弁しておくれ!」。銃声が響き、少年は倒れた。妻が駆けて来る。「何てことを…」「裁きだ。…キリスト教徒として立派に死んだ。いずれちゃんとしたミサをあげてやろう」。マテオは(これがコルシカの魂だ)と言いたかったに違いない。ゲッセマネの園。イエスは異常な恐怖に慄いていた。明日は十字架にかかる。「できることならこの重い使命から、わたしを解き放って下さい」。「パパ、勘弁しておくれ」である。だが父なる神は「あの大きな石のそばでお祈りをあげな」である。ファルチュナートも辛いが、マテオはもっと辛い。十字架の愛は、父なる神の辛さ、痛み、厳しさに支えられている。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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