2020年12月27日 聖協団目黒教会 都丸道宣牧師

「光の子ども、昼の子ども」テサロニケ人への手紙 第一 5章1-11節5節 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。ません。キリストの再臨について、パウロはテサロニケの人々に十分に伝えていました。キリストの福音を伝えるは、再びイエスが来られることも含まれています。既に伝えたことではあるが、その時と時期について、注意を促します。それは夜の盗人のように突然に、妊婦の産みの苦しみのように確実にやって来るということでした。兆しは無く、予告ははっきりありません。が、気を抜くのは違いますよ、無防備ではいけません、とパウロは言っています。神さまの子は光の子、昼の子です。光の子、昼の子は予告も兆候もない再臨に備えている状態でいるものなのです。目の見えない作詞家のファニー・クロスビーという人は、目が見えなくなった原因が人為的なミスが起こってのことでしたが、その心は闇を取り込みませんでした。結婚し娘を産み、それが早くに亡くなってしまったときにも神への賛美がありました。光の子、昼の子は、どのような闇が心に訪れたとしても、神の愛を離さず、神への賛美を忘れることはありません。その賛美は、より心の深みを現わし、打ちのめされるような悲しみの中から、絶対に消えることのない光を表していくことができます。それは私たちの死をも超え、永遠に変わらない光、信じる者に与えられる信仰のきらめきとなるのです。ファニーは自分が死んだら、初めて自分の目に映る相手がイエス様だと期待していました。そのように、死の向こう側にも希望が続いて輝いているのがイエス様の十宇架を真に信じる信仰者の姿です。子どものように、頼るべき存在が近くにいる安心があり、その存在は永遠に揺るがないお方であるという信頼があります。絶望に、苦しみに、痛みに、悲しみに、あらゆる暗闇に、闇の霊たちに完全な勝利をしたという確信があります。ですから、のびのびと心と体の健やかさを主に歌いましょう。そして自分だけが気持ちよくなるのではなく、互いに健やかになれるように、高め合っていけるように過ごしていきましょう。誠実に人々と交流し、悪かったら謝り、弱さをさらけ出せる相手には打ち明け、闇が教会に、また個人にとどまることのないようつとめましょう。そのようにすることが、光の子、昼の子の態度であり、神の愛を受ける姿勢であり、目を覚まして、慎む信仰者なのです。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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