2020年12月20日基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司

「大いなるお方、イエス・キリスト」 マタイ2:1~16

頭に〝ど〟がつく言葉。〝どまん中〟〝ど根性〟〝どぎつい〟。そのものの意味を強めていることは間違いない。〝超ド級〟という言葉もある。広辞苑によれば、〝超ド級の大型戦艦〈super dreadnought(ドレットノート)〉、攻撃力、防御力などにおいてド級艦に超越した戦艦〟とある。〝dreadnought〟とは〝恐れるものは何もない〟の意味であり、1960年、イギリス海軍が建造した大型戦艦である。ゴッホの描いた一枚の絵画がオークションに出品された。3億から4億円の値がつくとも噂された。描かれていたのはボロ靴である。誰がいくらで落札したのだろう。絵のモデルである実物のボロ靴を、メルカリに出品したら100円で売れるだろうか。これが〝付加価値〟である。100円のボロ靴をゴッホがキャンバスに描けば、4億円の価値を生む。ドえらいことだ。この夜、野山で羊の番をしていた羊飼いたちに「たった今、ダビデの町で救い主がお生まれになった」と御告げがある。「よし、行って礼拝しよう」。羊飼いたちは家畜小屋を探し回る。一方これより先、東の国の三人の博士たちが、星の行方を追って「さあ急ごう」、「これは新しい王の誕生だ」、「新しい時代の幕開けだぞ」と噂し合ってヘロデ大王の館を訪ねた。ヘロデ大王は三人の博士を迎え(新しい王様だって?)、思い当たるものは何もない。「それらしい御子を見つけたら教えて欲しい、朕も行って拝もうから」とは口先だけだ。腹の中は(探し出し、殺してしまおう)であった。まさにドレットノート、恐れるものなど何もない。羊飼いや三人の博士らが、宝物を献げて礼拝したのは、この赤ん坊を神の御子と信じたからだ。神の御子か、それとも単なる人間の子か。人は人生で二度、三度、ドえらい選択、決断を迫られることがある。なんたって選択の範囲もドえらく広い。(とっつかまえて殺しちゃえ)から、(宝物を献げて礼拝しよう)…どんな決断をくだせばよいのだろうか?ヨセフは身重のマリヤを連れベツレヘムに向かうが、宿屋はどこも満室で泊まる場所がない。「満室です」。「入っていただける場所がありません」。クリスマスなのに、イエスをお迎えする場所がない。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく」(黙示録3:20)。心の扉を開き、イエスをお迎えすることだ。「いやぁー。すみません。私の心に、狼、狐、狸が住んでまして、満室です…。お引き取り下さい」では、超洒落にならない。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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