2020年12月6日 聖協団目黒教会 都丸道宣牧師

「将来を確信する信仰」 テサロニケ人への手紙第一 4章13-18節聖書は読み物というより食べ物に近いのではないかと思わされるエピソードがあります。サマリヤの女の伝道を通して、イエス様は福音を伝えることを満腹感のような満足があると仰られました。神の栄光を現わす満足感はお腹にたまるようです。手応えがあり、実感が伴う。パウロもそのように表現しています。聖さを求めていくことに関して、愛する行いに関して、私たちを手本にしなさいと言うほど行動に反映しているパウロは、個人的に生々しい主の愛に触れ、神さまの聖さと愛を導かれるまま体現しているのです。そしてそのリアリティは世の終わり、まだ起こっていないことにまで及びます。再臨が来た時に私たちはどうしたらいいのか、とテサロニケの人々は再臨が来る前に亡くなった信徒たちのことで動揺しますが、イエス様が死なれ、復活されたことを信じるなら、同じように亡くなった信徒たちは復活する、そして私たちにも同様のことが起こるから心配しないようにとパウロは励まします。聖書に中には信じることの出来ること、すぐにはそれが難しいことが出てきます。信じることがすぐに出来る人、難しい人がいます。性格や状況や体験や救われ方でそれぞれのタイプやペースがありますが、どのような人々にとっても、イエスさまの十宇架の死と復活は真実であって、それを信じて自分の体験にしていくかどうかで、食べて飲み込んで力にするかどうかで、この世にあるあらゆる困難や苦しみや悲しみ、死にまつわる多くの悩ましいことに関して解決に辿り着くかどうかが決まります。終わりの日には、亡くなった信徒たちはよみがえり、再臨の主を迎えます。そのとき生きている信徒も同じように主を迎える。どちらが優位でも劣ってもいません。全ての主をたたえる人々は主の救いの完成を共に迎えます。究極の救いがあるのだから、死のことで、すでに亡くなった信徒のことで悩むことはしないで、しかし、悩み、苦しんでいる人を見捨てたりしないで、支え合って待ち望んでいくように、とパウロは言われました。私たちの信仰生活はゴールに向かって一歩一歩進んでいます。この世にある中でも、死を迎えたとしても、イエスさまの十宇架と復活にあって、救いは変わらず揺るがず、私たちを勝利に導いています。信じて共に待ちましょう。勝利されたイエスさまと日々愛し合い、語り合い、交わり、福音の素晴らしい食べ物をいただきながら⋯。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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