2020年10月11日基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「神のさばき」

ローマ2:1~16正しく生きているクリスチャンほど、人をさばきやすいものです。「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。」(ルカ6:41~42)。イエスさまは、自分の目の中の梁に気がつかないで、なぜ人の目の中のちりを取ろうとするのですか。まず自分の目の中の梁を取り除きなさいと仰いました。「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです」(ローマ2:1)。人をさばくことが出来るのは神さまだけです。クリスチャンとなった今も私たちの心の中には、醜い思いが浮かんでは消え、また浮かんでくるといった有様です。神さまのあわれみと忍耐が無ければ存在できないものであるにもかかわらず、そんなことをも忘れて人をさばくのです。ローマの教会では、ユダヤ人と異邦人との間で、お互いの信仰をさばき合い、対立が生じていました。そのような状態では、神のさばきを免れ得ないと、パウロは厳しく戒めます。神さまの深い忍耐とあわれみを軽んじることなく悔い改め、神さまの御前にへりくだり、神さまに従うことをすすめるパウロ。終わりのときには、すべての人が神さまの御前に立ちます。そのとき、神さまからの栄光と誉を頂くことが出来るような歩みをしたいものです。「 神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです」(ローマ2:6~8)。神さまの御前に立つときには、私たちの心の隠れたすべての思いまでもが明らかにされ、それに相応しい報いが与えられるのです。「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです」(Ⅰコリント4:5)。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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