2020年9月20日基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司「わたしが道である」   ヨハネ14:6「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい』」(創世記12:1)。私の眼の前にも一本の旅路が拡がっている。〝踏み出す勇気を持て〟と、神は語りかけておられるに違いない。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』(ヨハネ14:6)。第一に、〈キリストは、天に通じる唯一の道である〉。天に通じる道を、人間の力で成し遂げようとの試みが〝バベルの塔〟であった。神は人間の傲慢を危ぶんだのだ。一方、同じ創世記に〝ヤコブの旅路〟の記事がある。長く苦しい旅の途中、ヤコブは不思議な夢を見た。天から地に向け鮮やかな光の階段が架けられ、天使たちが行き来する。聖書は「一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き…」(創世記28:12)と記す。キリストは、天から地に遣わされたお方、天から地に向かって架けられた唯一のはしごである。「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6)。第二に、〈キリストは、真の生き方を示す唯一の道である〉。武士道、華道、茶道…誰の人生にも、生きるあり方を示す〝真理の道〟が必要だ。それが分からないから人は迷う。時計の値打ちは何によって決まるだろうか?純金で光っていれば良いのではない。定められた決まりに従い、動くことが肝心だ。神の被造物である人間も、創造主の決まりに従おうとする時、真の生き方を示す唯一の道を見出すだろう。「わたしが真理であり…」(ヨハネ14:6)。第三に、〈キリストは、進むべき方向を示す唯一の道である〉。人生は重荷を背負って歩む旅人のようだと言われる。重い荷も、時には背負おうではないか。ただし重荷も、旅の目的と行き先がはっきりしていればこそ耐えられるものだ。日々の生活を決定的に疲れさせるもの…。それは、目的のない、行き先のわからない旅を強いられることだ。神は「わたしが示す地へ行きなさい」(創世記12:1)と、進むべき方向を指し示しておられる。第四に、〈キリストは、人々から踏みつけられ、〝道〟となられた唯一のお方である〉。道(デレク)とは、多くの人々に踏みつけられて出来るものだ。「わたしが道であり…」(ヨハネ14:6)とは、罪人たちに踏みつけられ(十字架)、救いの道になると訴えたかったのだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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