聖協団目黒教会牧師 都丸道宣牧師テサロニケ人への手紙 第一 2章1-12節

赤毛アンという物語の中で、主人公アンがマシューとマリラのところに養子となって三年たったある日。アンは学校の進学クラスでの出来事を二人に分かち合う。進学して、その後の就職のことなんて気にしない、あなたは孤児なんだから働かなきゃだめね、と言うクラスメイト。養父母(養っているのは夫婦でなく兄妹であるが)にそれを分かち合うと、妹のマリラは働くのは孤児だろうと何だろうと関係なく働くのよ、と答え、兄のマシューはアンはもう孤児じゃない、と答える。アンはその核心的な答えに満足する。私たちは救われ、天におられる神さまに養子として迎えられた。私たちには地上の父母がいるのだが、天のお父さんに天に迎え入れられた。天が私たちの本当の居場所なのである。救いとは天では大きな喜びであることを福音書でイエスさまは何度も仰った。私たちが救われたとき、天に大きな喜びの歓声が上がった。そのときから、天で喜びがあるように生きるというのが私たちの生き方の指針なのである。テサロニケの教会に福音が宣べ伝えられたときも天での喜びが起きた。福音を伝道するためにパウロはムチ打たれ、投獄され、辱めを受けた。テサロニケの教会に福音を宣べ伝えているあいだも苦しみにさいなまれた。しかし、勇気を神さまから受け取り、福音を伝える前進をやめなかった。福音伝道をするのに、必要なのは神様からの勇気、力である。それ以外のものは福音の純粋さをにごしてしまう。栄誉を人から受けない。使徒としての権威も求めない。誰かに仕えられることは一切退けて、仕えるために自ら働き、自ら稼ぎ、奉仕するために自分をささげる。その姿を誰が見ても福音の純粋性だけが見て取れるように。神に見られてもひるむことはない。生活の全てを誰に見られたとしても、福音伝道者の純粋性だけがパウロたちからは見ることができる。その心を神に探られても、神が証人となってくださるほどである。パウロたちの全身全霊の福音伝道の純粋さは曇ることはなかった。天で大きな喜びがあるかどうか、神に喜びがあるのか、という点にしか興味がないのである。人の評価は気にしない。人を喜ばせる言葉や利益を求めない。ただ天の神様の喜びだけを求めて、パウロたちは前進し続ける。福音を、神の御国を拡げ続ける。天での喜びの歓声が消えないように、私たちも福音を宣べ伝え、このパウロの姿勢に続きたい。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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