2020年7月19日基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司

「ご聖霊の働き」 Ⅰコリント12:3,2:2「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(12:3)。洗礼を考え始めるとき、父なる神と子なるキリストは入門講座でだいたいわかる。(これなら受洗してもいいな)と思うのだが、わからないのが〝聖霊〟だ。聞いても、説明されてもわからない…。Ⅰコリント12章3節を〝鍵〟に例えるなら〝鍵穴〟は、ノアの洪水の出来事である。「それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った」(創世記8:10~11)。鳩はオリーブの若葉をくわえて帰ってきた。猛威を振るった洪水は止み、オリーブの木が水の表面に顔を出し始めていたのだろう。こうしてノアとその家族は、罪による滅びから救われたのを知った。この救いを知る決め手になったのが、オリーブの若葉であった。一枚の若葉がノアとその家族に、決定的な救いの事実を知らせたのだ。〝鍵〟と〝鍵穴〟…キリストの十字架とご聖霊との関係もこれと同じだ。パウロは「十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心した」(Ⅰコリント2:2)と、ひとつの決意を固めた。ちょうど鳩がオリーブの若葉を運びもたらし、救いのメッセージを伝えたように、ご聖霊はキリストの十字架の真理を私の魂に運びもたらしてくださる。〝鳩〟と〝オリーブの若葉〟、どちらが決め手を持つかについて、「鳩である」と、まず私たちは考えるかもしれない。だが本当の決め手は、鳩がくわえてきたオリーブの若葉そのものである。鳩は、オリーブの若葉、つまり「救いのメッセージ」を運びもたらした存在に過ぎない。「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします」(ヨハネ15:26)。ご聖霊がわかるとは、十字架の救いがわかることである。三位一体の中で、わからないのが〝聖霊〟だったが、その〝聖霊〟は、キリストの救いをわからせてくださる神の霊であると言うのであれば、それなら私にも聖霊が働いてくださっている、「アーメン!」と、力強くうなずくことができる。聖書の随所にちりばめられてあった様々な謎についても、「なるほど」と、納得がいく。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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