救われたクリスチャンは聖化というきよめの歩みを始めさせていただきます。
それは神さまがお父さんになり、イエスさまがお兄さんのように手本を示してくださって、聖霊さまがお母さんのように柔らかく接してくださる中で、その三つ巴の愛の交わりを受け止めながら、ゆっくりきよめられていくという歩みです。
しかし私たちはただまっすぐに聖なる者へと変えられていくというより、進んだと思ったらまた戻って、戻ったと思ったら、その戻ったという経験の中で深い学びをして、というように、進んでいても、また戻ったように感じても、神さまとの交わりを絶やさないでいるならキリストに似た者へと変えられているのです。
しかし、神さまとの交わりを絶やしては、きよめられる、ということはないのです。自分の努力によるきよめとは自己満足であり、神さまは喜ばれませんし、救われる前よりも罪に対して無頓着になってしまうでしょう。私たちはもはや神さまなしでは人間的にも霊的にも成長できなくなってしまうことでしょう。
私たちは救いを受けたなら、そこから使徒パウロのようにどんな苦しみを受けることも喜びである、と言い切れるほど聖霊に満たされた人生を歩むことができるようになるのです。神さまから離れないで、交わりを絶やさないで、キリスト者の醍醐味とも言える聖化の恵みを受け取りましょう。