2019年11月24日
「しつこさのゆえに」 ルカ11:5~10
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
時は夜であった。とは言ってもイエスの時代、現代のように夜ふかしする習慣はない。何しろ電気がない。日が暮れれば真っ暗だ。遅くまで起きていれば、灯りをともさなければならず、オリーブ油を消費する。偉い祭司階級は上等な一番搾りのオリーブ油を使ったが、庶民は二番、三番の粗悪な油で、素焼きの火皿に亜麻の芯を置いて灯りをつけた。すると粗悪な油は黒煙をゆらゆらさせながら、明かりもどんより力がない。起きていても仕方がないや、との気持ちになる。それで家族はさっさと寝てしまう。
すると、外から戸を叩く音がする。「ドンドンドン」。「誰だ?」。「ちょっと頼みごとがあって来たんだ。開けてくれ」。「もう遅いぜ。明日にしておくれ」。「明日では困ることなんだ」。
「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします」(ルカ11:5~6)。
通常パレスチナ人の家屋は一間である。そこに親も子供たちも一緒に寝る。日が暮れれば家畜も家屋の中に引き込む。大人たちがいつまでも起きていると、子どもたちも家畜も寝静まらない。「すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』」(11:7)。当然の対応だろう。だが戸の外の男は諦めない。そのうち妻が起き、子どもたちも目を覚ます。ヤギがもぞもぞ始めて、メーメー鳴き出す。こうなったら終わりである。「静かにしろ!家じゅうのものが眼を覚ましちまうじゃないか」との言い訳は成り立たない。「たたきなさい。そうすれば開かれます」(11:9)。家の主人はついに、しぶしぶ戸を開ける。戸の外では、しつこい男の嬉しそうな笑顔が見える。男は望むものを手に入れたのだ。神は誉むべきかな。これが日本人なら、「やっぱりダメですか。わかりました」、諦めるのに早すぎる。しかし、アラブ的、ユダヤ的世界は、きわめて率直でしつこい。手に入れるまで決して諦めない。日本人のように、すべてを諦め、親子心中するのとは全く反対の粘り強い生き方である。
「求めよ!」とイエスは訴える。イエスは、求める者を求めておられる。