Ⅱコリント5:20

基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司

ドイツ系ユダヤ人、カフカの作品に「変身」がある。平凡な外交販売員のザムザが、ある朝いつものベッドで目をさまし、なぜか自分が大きな虫に変わっているとの不思議さだ。善良で平凡な一市民ザムザが、なんの理由もなくグロテスクな虫と化し、人間としての存在価値を失い、苦悩の中で死んでいく…。このストーリー作者が託したモチーフは何だったのか?答えは難しい。深い謎を後世にちりばめ、「さあ、解けるものなら解いてごらん」と訴える、そんな気配がなくもない。

身近なことで言えば、ヨブ記のヨブのように、なんの理由もなく厳しい懲罰を受ける善良な男、ヨブの姿そっくりではないか。これならば納得しやすいし、欧米人にはこうした原罪の意識は馴染みやすく、ユダヤ人なら日常的な感覚だったろう。意味も分からず、もがき苦しむ人間の姿を、原罪の意識と結ぶつけるとき、何かが見えてくる。

「失楽園」、「パラダイス・ロスト」という言葉がある。楽園を失うとの意味で、これが人生のあらゆる矛盾の根源である。

神が創造した大地、エデンの園。この楽園の素晴らしさをどう表現したらよいものか。なんびともそのみごとさを語り得ないだろう。だがアダムとエバは、神に背を向け、罪を犯し、楽園を追放される。パラダイス・ロスト、楽園の外では何が起きていたのか?カインとアベル、この兄弟との間に人類最初の殺人行為が起きていた。続いて、ノアの洪水、バベルの塔…。楽園の外は、信じがたいほど思いのままにならない、あらゆる虚しさに満ちていた。神による創造本来の在り方から逸脱、脱落しているため、様々な矛盾した運命が人間に襲いかかるようになった。これが「原罪」と呼ばれるものだ。

だが神はこの期に及んで、人間との和解を望んでおられるという。「神が…懇願しておられるようです。…神の和解を受け入れなさい」(Ⅱコリント5:20)。神と人間との深い断絶。神は和解の使者イエスを遣わし、人間に向かって懇願する。「わたしの和解を受け入れて下さい」と。〝懇願〟は土下座をする意味だし、和解とは和解の使者イエスを迎え入れることだ。神は土下座をして和解案を提示し、訴える。〝キリストこそ、あなたの楽園、パラダイスだ〟と。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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