2019年11月3日
「裏切りと赦し」 マタイ11:28~30
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
フランスの作家、プロスペール・メリメの作品に「マテオ・ファルコネ」がある。
舞台はコルシカ島。主人公マテオは精悍でたくましい。固い信念を抱き、誇り高く生きている。ある日、十歳のひとり息子フォルチュナート少年が留守を委ねられる。そこへ兵隊に追われ、傷ついた逃亡者が駆け込んでくる。「あんたはマテオの息子かい?かくまってくれ」と願う。逃亡者はマテオの噂を知っていたに違いない。強きをくじき、弱きを助ける義侠心に富んだマテオなら、自分をかくまってくれると信じて逃げ込んで来たのだ。「隠してやったら何をくれる?」。「かねをやろう」。少年は銀貨をもらい、男を干草の山に隠す。間もなく六人の兵士が現われ、少年が何かを隠していることを見抜く。隊長はポケットから値打ち物の銀時計を出してちらつかせる。少年はそれが欲しくなり、干草の山を指さす。そこへマテオが妻と一緒に帰って来て、家の前で兵士たちと会う。隊長が「逃亡者をつかまえた。あんたの息子が教えてくれた」。連行される逃亡者は敷居に唾を吐きかけ、「けがらわしい。ここは裏切り者の住む家だ」と叫ぶ。マテオは留守中に何が起きたかを察知する。マテオは妻に「この子は本当に俺の子か?」と尋ねる。「何を言うの?あなたの子に決まってるでしょう」。「となると、この子は家の血統に出た初めての裏切り者だ」。マテオは息子を引き連れ谷間に行き「フォルチュナート、あの大きな石のそばへ行ってお祈りをあげな」。「パパ!パパ!許して!僕を殺さないで!」。「神さまに許していただきな」。銃声が響き、少年は倒れた。マテオは「これがコルシカの魂だ」と言いたかったに違いない。
人間の裏切りを容赦なく罰する神の姿、荒野の叫び、ヨハネのメッセージそのものではないか。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます」(マタイ3:7~8、10)。
神は弱い人間、哀しい人間の人生をただ怒り、罰するためにだけ存在するのだろうか?イエスは訴える。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(マタイ5:3~4)。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。