2019年10月13日
「ダビデとアブネル」 Ⅱサムエル3:1
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった」(Ⅱサムエル3:1)。
ご承知のように、救い主メシヤ・キリストは、ダビデの血筋から現われることになっていた。ここでダビデの家が滅ぼされたなら、大変なことである。サウル家の将軍アブネルが、政治路線を急角度で切り替え、敵方ダビデに近づいたのは正解だった。アブネルがサウル家にとどまり、ダビデの家を滅ぼそうとするなら、これは大変な暴挙である。
かつて南ユダ王国の女帝アタルヤが、ダビデの血筋を滅ぼそうとしたことがあった。女王アタルヤは、フェニキヤの神・バールの崇拝者で、自分の権力を確保するため、ダビデの血筋に当たる孫たちを次々と虐殺していった。ダビデの家の子孫は永久に失われ、同時にキリスト出現の希望も失われたかに思われた。しかし、ひとりの子どもが殺戮を免れていた。祭司エホヤダによって匿われ、密かに育てられていたヨアシュである。女王アタルヤはヨアシュの存在を知り、ダビデの家の宝である謎の子どもを引き渡すように命令を下す。この世の救い主は、ダビデの家から現われることになっていたので、この虐殺は大変な暴挙であった。
サウル王のそばめリツパと通じた女性問題に端を発し、北の十部族をダビデ側に移譲した将軍アブネル。一方ダビデは、北のパルティエの妻ミカルを、夫から奪って連れて来ることを友好関係の条件とした。ダビデとアブネル、二人合わせて文字通り〝色と欲〟である。人の心は善か悪か。なかなか難しい問題だ。「良い人、悪い人がいるんじゃない。人は悪くなる時があるものだ」(夏目漱石・こころ)。ダビデもアブネルも、実情はこのあたりにあるのではないか。打算や損得勘定、そんな固有の現実も実在したが、結果としてダビデもアブネルも神の計画を実現する側に立たされていた。ダビデもアブネルも、良い人でも悪い人でもない。神のご計画を実現するため用いられた器にすぎない。
サウルの家とダビデの家、歴史的現実には〝私の家〟も実在するだろう。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい」(詩篇127:1)。完全は行動が出来たから、良い人だから、神の祝福をいただくわけではない。ただ神に赦され、きょうも神に生かされている事実を感謝し、神の御心を行なわせていただく〝主の家〟となりたい。