2019年7月28日

「危機を乗り越えて」民数記32:16~19

基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司

カナンの地を目指すモーセたち。その頃、カナンの地は町ごとに王が君臣し、城壁を作って外敵の侵入を防いでいた。この連中と戦わなければ、約束の地もへちまもない。12部族が力を合わせなければなるまい。ヨルダン川のかなたには、約束の地が広がっている。ところがだ。ルベン族とガド族が、ヨルダン川手前に留まり、ここを所有地として与えて頂きたいと訴えた。豊かな土地であることはひと目でわかる。彼らの申し出に、厳しい態度で応じるモーセ。モーセを突き動かすのは、イスラエルの臨戦態勢である。「モーセはガド族とルベン族に答えた。『あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。どうしてあなたがたは、イスラエル人の意気をくじいて、主が彼らに与えた地へ渡らせないようにするのか。私がカデシュ・バルネアからその地を調べるためにあなたがたの父たちを遣わしたときにも、彼らはこのようにふるまった。彼らはエシュコルの谷まで上って行き、その地を見て、主が彼らに与えられた地に入って行かないようにイスラエル人の意気をくじいた。』」(民数記32:6~8)。モーセの訴えは、40年前の失敗と同じ轍を踏むことになる、というものだった。ルベン、ガド、両部族の出かた次第で、民族分裂の危機を招くだろう。「彼らはモーセに近づいて言った。『私たちはここに家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます』」(32:16~17)。これが両部族の決断だった。この態度の中に、両部族が、問題の解決に向け、いかに積極的な姿勢を取ろうとしたかが示されている。ヨルダン川手前の領有権の保証と引き換えに、最善を尽くしカナン征服のため戦うというわけだ。これによりイスラエルは、ひとつの危機を乗り越える。立場の違う人間同士の関係を、力のぶつかり合いに陥らせることなく、共同の解決に到達させた。力のぶつかり合いは、自己の立場や信念を絶対化することから生じるのだ。

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリピ2:6~8)。イエスも、問題の解決に向け、積極的姿勢をお取りになったのだ。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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