2019年6月30日「神のチャンスを待つ者」
エレミヤ21:8~10
 
 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司 
 
ユダの王ゼデキヤは、ダビデ、ソロモンの血を引いていたので、プライドだけは高かった。(ひょっとしたら、俺も天下を取れるのではないか)と思ったのか、新バビロニア帝国と戦う決意をした。これを聞いた預言者エレミヤは大慌て。「天下など、とてもとても…」。
 
「主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。 この町にとどまる者は、剣とききんと疫病によって死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる。なぜならわたしは、幸いのためにではなく、わざわいのためにこの町から顔をそむけるからである。─主の御告げ─この町は、バビロンの王の手に渡され、彼はこれを火で焼くであろう。』」(21:8~10)。  
 
預言者エレミヤを突き動かしているのは、神ご自身だ。「我らはエルサレムの町を明け渡し、捕虜として奴隷の境遇に身を落としても、今は、生きることを考えるべきです。神のことばに従うなら、今に良きこともあるでしょう」と進言したが、「苦しうない。宣戦布告せよ」と開戦へと突き進む。結果、エルサレムの町は陥落、おびただしい血が流され、ゼデキヤ王自身は両眼をえぐりとられ、息たえる。  
 
ユダヤの歴史は戦争と流血の歴史である。その歴史はエジプトに始まり、アッシリヤ、バビロン、ペルシャ、十字軍、サラセン、マメルク、オットーマン・トルコ、ローマ…、国土を蹂躙された迫害と奴隷、捕囚の歴史である。たとえば〝出エジプト記〟。エジプト王はイスラエル人に強制労働を課し、支配下に治めていた。そこに〝チャンスの神さま〟が現われる。「わたしはあなたたちの神である。苦しみの声がエジプトから届いた。人の苦しみは、いつまでも続くものではない。奴隷の生き方に終止符を打ち、カナンへ旅立て。400年間にもわたった奴隷の境遇とは、今日でおさらばだ。大丈夫。わたしがあなたたちとともにいる」。イスラエル人たちは、数々の神の奇跡に導かれ、守られ、約束の地、カナンへと帰って行く。  
 
預言者エレミヤは訴える。神はエルサレムの町から顔を背けているので、エルサレムを死守するのではなく、都を明け渡し、バビロニアの捕囚先で再起を計れ。人生にはこんな選択もあると神は訴える。だがゼデキヤ王は、これひとつに命を賭け、次のチャンスのことなど考えなかった。〝チャンスの神さま〟は、何度でもやって来るのだ!
カテゴリー: 礼拝メッセージ

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