2019年6月23日

「逆転の確率」  創世記50:19~20

基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました」(創世記50:20)。確かに〝悪〟と呼ばれるものが人生には存在する。ヨセフはこの事実を決して誤魔化すことなく、単刀直入に「あなたがたは、私に悪を計りました」(50:20)と訴える。「あなたがたは、私に悪を計りました」(50:20)。〝悪〟の存在だけでは味わいがハードになり、重くなる。「神はそれを、良いことのための計らいとなさいました」(50:20)。これを信じるからこそ、悪を計る者の存在と遭遇しても、何とかして下さる神の計らいがあって、その後ゆっくりエンド・マークが現われる。

総理大臣にまで導かれたヨセフのもとに、兄たちが食糧を求め、エジプトへやって来た。かつて自分を殺そうとした兄たちである。「よく顔を見てくれ。俺は弟のヨセフだ。お父さんは元気かな」と、劇的な再会。兄たちの驚きは大変なものだった。「昔のことはもういい。忘れよう。カナンがそんなに飢えているのなら、ぜひお父さんをここに呼んで欲しい。ここなら大丈夫だ」。ヨセフのメッセージは父ヤコブに伝わり、ヤコブが神の御心を求めると、「エジプトにくだる?! まあ、それもよかろう。だが、わたしはいつかまた、お前たちを約束の地、ここカナンに連れ戻そう」との御心が示される。こうして父ヤコブは一族もろともエジプトに移り住み、父ヤコブも、ヨセフも、他の兄弟たちも異国の地でその生涯を閉じた。そして、その四代あとに生まれたのがモーセである。モーセがなぜナイルのほとりで生まれなければならなかったのか。なぜエジプトを出なければならなかったのか。旧約聖書は、様々なエピソードを語りながらも一本の糸をしっかりとつないでいく。約束の地、カナンへと。「いつかまた、約束の地、カナンに連れ戻そう」。

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」(50:20)。ヨセフは様々な〝悪〟の存在に見舞われたが、それは一族の繁栄のため、多くの人々を生かす、良いことのための計らいになると信じていた。

何とかして下さる神がおられる。人生を逆から眺めたとき、(人間っていうのは、どこかで、何とかなるもんだなあ)。こうして、ゆっくりエンド・マークが現われる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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