イザヤ41:9~10

基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
使徒の働き9章にパウロの回心の記事がある。当初イエスに敵対する立場に立ったパウロが、教会弾圧のためダマスコに向かった時のこと。突然、荒野で光が射し「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4)と声がする。パウロはひれ伏し「あなたはどなたですか?」と問えば、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(9:5)とのこと。パウロの属するパリサイ派は、イエスに激しい憎悪を抱いた団体だ。イエスを十字架にまで追い詰めている。しかもパウロはこのグループのリーダー格だ。生前のイエスとパウロとの関係は、険しく危ういものだった。そのイエスが復活の姿で現われ、「サウロ、サウロ」と呼びかける。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。これは万感胸に迫る言葉だ。長年、敵対関係にあった当事者同志が、再び対面する場面だ。イエスが「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」とパウロに呼びかけ、ここで何らかの関係をパウロとの間に成り立たせようとするなら、これは並大抵のことではない。

私たちは感情を持った生身の人間である。こうした場面では、相手をひっぱたいて、蹴飛ばして当然なのである。考えとか建前とかで赦すやり方が一番悪い。完全に赦すか、相手を蹴飛ばすか、どちらかを選ぶ必要があるだろう。どちらが良くて、どちらが悪いなどとは一概に言えるものではないし、出来ないものは出来ないとする、弱さを認める謙虚さも必要だろう。私に出来ないことを、イエスがしてくださるのだ。

パウロの場合、この出会いを通し、(私は赦された)と感じられたのだろう。「突然、天からの光が彼を巡り照らした」(9:3)。復活の主は光に包まれ、「『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』」(9:5~6)。血まみれのおぞましい姿で現われ、「わたしは、あなたに迫害されたイエスだ」とやったのではない。復活の主は栄光の光に包まれ、「わたしは、あなたに迫害されたイエスだ。起きて町に入れ。そこにあなたの仕事が待っている。以上」。これでパウロは、キリストの完璧な赦しを確信したのだろう。キリストの敵がキリストの使徒に変わり、弾圧者が信奉者になった。「生きるも死ぬもキリストのため」と、大転換を遂げる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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