2019年6月9日

基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「のがれの町」 民数記35:10~12

あるアメリカ人が言っていた。〝I LOVE YOU〟とは、〝I LOVE YOU NOW〟なのです。確かに〝一瞬の好き〟というのもあるのだろう。〝好き〟という感情には、二人の人間が参加していて、どちらの気持ちも変化する可能性がある。こっちも変わるし、あっちも変わる。イエスの場合はどうだろう。こっちは変わるかもしれないが、イエスの側は変わらない。〝I LOVE YOU FOREVER〟であり、変わるのは私の側の気持ちだけである。

時が至り、人を殺した者の命も守られねばならぬと訴えた神は、「のがれの町」の制度を導入された。「もし、人が憎しみをもって人を突くか、あるいは悪意をもって人に物を投げつけて死なせるなら、あるいは、敵意をもって人を手で打って死なせるなら、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は殺人者である。その血の復讐をする者は、彼と出会ったときに、その殺人者を殺してもよい。もし敵意もなく人を突き、あるいは悪意なしに何か物を投げつけ、…それによって死なせた場合…」(民数記35:20~23)。殺人者が「逃れの町」で生きられたのは、「敵意、悪意」の抱かなかった者である。問題の渦中で、敵意があったかどうか。憎しみを抱いたかどうか。私たちはお互いに、何を考えているのかわからないから幸いなのです。イエス自身は、この問題をさらに深く掘り下げ、人間の心の闇に迫る。「『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます」(マタイ5:21~22)。イエスがここまで人間の心の闇に迫れたのは、(わたしこそ唯一の〝逃れの町〟。誰でもわたしのもとへと逃れて救われなさい)の思いがあったからだろう。旧約時代に六つの逃れの町が定められたが、キリストは私にとって七つ目の逃れの町である。モーセの時代、殺人者が逃れの町に身を隠したのは大祭司の存命中である。逃れの町は、大祭司の生前と死後、この時間差に依存していた。「偉大な大祭司である神の子イエス…は、私たちの弱さに同情できない方ではありません」(ヘブル4:14~15)。私たちの救いも、大祭司キリストの生前と死後という時間差、すなわち十字架に依存している。「私たちの弱さに同情」できるイエスは、私の敵意、悪意をも赦して下さるだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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