2019年6月2日
「旅路の果てに」  申命記1:19~46
 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
〝申命記〟の書名は、〝重ねて申し命じる〟である。重ねて述べるのは、イスラエルが重ね重ね神に背いた結果であった。申命記は、人間の本質を見抜き、何度も重ねて律法を命じ続けた。それが荒野の40年である。
申命記1章19節~46節は、民数記13章、14章の「カデシュ・バルネア事件」を繰り返し述べたものである。エジプトを出て1年ちょっと程で、カデシュ・バルネアまでやって来た。約束の地、カナンは目前だった。モーセは12人の偵察隊をカナンに潜入させた。偵察隊の報告は悲劇的なものだった。「そこにはアマレク人、ヒッタイト人、カナン人が住んでおり、我らが勝てる相手ではありません」。圧倒的多数で弱気派の主張に傾き、再びイスラエルは荒野を彷徨うこととなる。荒野の40年である。その40年の間に、アロンが死に、二回目の人口調査が行われ、モーセの後継者にヨシュアが指名され、こうしてモーセの寿命も尽き、40年の歳月が流れ去った。再びチャンスがめぐってくる。あれから40年、カナンの地は町ごとに王が君臨し、城壁を作って外敵の侵入を防いでいた。モーセの後を継いだヨシュアは、偵察隊をエリコに差し向けた。ここまでは40年前と同じである。40年前と同じように、そこに住む先住民は、みな大きく強そうに見えたかどうか。偵察隊はヨシュアに報告した。「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました。そればかりか、あの地の住民はみな、私たちのことで震えおののいています」(ヨシュア2:24)。今回はそう思えたし、そう見えたのだ。荒野の40年には意味があった。
これから占領しようとするエリコの町は、頑丈な城壁を築く、鉄壁の守備を誇る町だった。そこに神の声が響く。「城壁の周りを毎日一周しなさい。これを六日間続け、七日目には七周して、鬨の声を上げなさい」。申命記の神は、あなたの心の中をご覧になり、あなたの心にそびえる城壁が何であるかをご存知である。(あなたの城壁を崩すように)と、導いておられる。イスラエルの軍勢は、城壁の周りを沈黙の行進。全能の神を信じ、試練や問題という壁の周りをグルグル回る荒野の40年。七日目に七周を終え、最後に鬨の声を上げたとき、なんと、堅塁を誇った城壁は崩れ落ちた。
誰の人生にも荒野の40年がある。その旅路の終わりに、心の城壁も崩れ落ちるだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です