2019年5月19日
「死を克服して」  民数記27:12~19
 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
 紀元前1300年頃、エジプト王は世界史の試験にも出題される、ラメセス2世ではなかったかと聖書学者は推測している。モーセは大勢のイスラエル人とエジプトを脱出し、約束の地、カナンへと旅立った。飢えと渇き、40年間という途方もない長い旅路。荒野を彷徨い、いくつもの戦いがあり、反逆があった。こうしてイスラエル人は、ついにヨルダン川の東にたどり着き、対岸にはエリコの町が見えた。エリコはカナンの中心地であり、この町を攻め落とせば約束の地に入ることができる。だがモーセは約束の地を目前に、死を迎えようとしていた。「メリバの水の事件」で責任を問われ、カナンへの出禁を言い渡されたのだ。
「主はモーセに言われた。『このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。』これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。それでモーセは主に申し上げた。『…いのちの神、主よ。ひとりの人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、彼らに先立って入り、また彼らを連れ出し、彼らを入らせるようにしてください。主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。』主はモーセに仰せられた。『あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。』(民数記27:12~19)。
約束の地はモーセの眼の前に拡がっていた。カナン定住という約束の成就を見ることなく死を迎えようとしていたのだ。モーセの胸には思い浮かぶことも沢山あっただろうが、このとき彼の最大の関心事は、自分の死そのものより、自分に代わって国を導く後継者のこと、国の将来に思いを馳せていた。「主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください」(27:17)との訴えがこれである。神はこの訴えを聴き入れ、ヨシュアを選んでモーセの後継者とした。私たちは、このモーセの姿の中に、死を克服した人間の姿を見る。モーセは、最後まで神の民の指導者としてその責任を自覚していた。自分のために生きないで、神の民のため、誰かのため、神のために生きることこそ、自分の死を克服する道である。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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