2019年4月28日
「晩餐の用意をせよ!」 マタイ9:10~17
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
映画の一場面だが、刑事が凶悪犯の行方を追っている。いつもタバコを口にくわえているので、部下が火をつけようとすると、「バカ!俺はいま禁煙中だ」と怒鳴りつける。だが、この凶悪犯をいよいよ逮捕できるかもしれないとの場面で、「おい、火をつけろ!」、タバコを深々と吸う。もう禁煙なんかに、かまってはいられない。今は余計なことに心を奪われず、思考を集中して、凶悪な知能犯と戦わなければなるまい。禁煙なんかそのあとでもかまわない。その心意気が、実感をともなって見る者に伝わってくる。
「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。』イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。…わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。』するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。『私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。』イエスは彼らに言われた。『…人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます』」(マタイ9:10~17)。
イエスとヨハネ、同じく神の御心を行なう指導者でも二人の主張のトーンはおのずと異なっていた。イエスはイエスらしいし、ヨハネはヨハネらしくなくてはなるまい。
荒野の40日間の断食を終えたイエスは、ガリラヤ地方を中心にみずからの教えを説き、12弟子を集める。キリストの出現を境に、世界が変わったのだ。これからの目的はただ一つ。罪人たちをかき集め、彼らを赦し、救うことである。「ペテロ、ヤコブ、ヨハネ。上等な食材を調達し、晩餐の準備をせよ。ワインも頼む」と叫んで、罪人たちを招く。もう断食なんかしている場合じゃない。今は余計なことには心を奪われず、思考を集中し、罪人たちの救いを最優先しなければなるまい。断食なんか、そのあとだってかまわない。イエスの心意気が、実感をともなって我々に伝わってくる。