2019年4月14日
「それぞれの遺言」 Ⅰペテロ2:13,17~21
 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
 ペテロの手紙第一、第二を読むと、迫害の中、死を目の前にしたとき、信仰者はどうあるべきか、ペテロの信仰が見えてくる。「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、…すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」(Ⅱペテロ2:13,17)。「尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、…それは、神に喜ばれることです」(Ⅰペテロ2:18~20)。捕らえられたキリスト者が、ローマの競技場で火あぶりにされ、ライオンの餌食に供される中、これが第一席のリーダーであるペテロから信徒へと送られたメッセージだった。そこには神を信じた上での無抵抗主義が垣間見える。イエスご自身は、神殿で鞭を振るい、もう少し激しい抵抗を秘めていたように思うが、ペテロはあくまでも静かな抵抗である。〈クオ・ヴァディス〉の映画の中では、暴君ネロがライオンをけしかけてもキリスト者たちは賛美歌を歌い、悠然と死を迎える。「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」(Ⅱペテロ2:19)。ペテロの説教には、説得力がある。
ペテロとパウロ、二人ともここローマで死を覚悟していたが、同じキリスト教界の指導者でも、二人の主張のトーンはおのずから異なる。ペテロはペテロらしいし、パウロはパウロらしくなくてはなるまい。私も私らくし生きよう。その意味で、伝道者パウロは最後まで伝道者であった。パウロが宣教に費やしたあの膨大なエネルギーとあの執念…。「あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。(Ⅱテモテ4:5~8)。死んでいく者が、最期に書き残そうとした遺言の言葉として見れば、伝道者パウロは最期まで伝道者だった。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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