2019年2月17日
「世の光なる教会」  ピリピ3:19~20
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり…彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:19~20)。
ピリピの町の人口は、推定1万5千人。ローマの植民都市として、その繁栄と威光を享受する豊かな国際都市だった。〝衣食足りて礼節を知る〟と言われるが、逆に聖書は「人はパンだけで生きるのではない」(申命記8:3)と訴える。確かに、衣食が足りなければ、浅ましい姿を露呈することもあるだろう。だが実情は、豊かな社会ほど礼節を忘れ、人間を堕落させる。パウロが神のことばを伝えたローマの植民諸都市は、衣食が十分足りていながら、その精神は荒廃の極みにあった。性の放縦、飽くことのない貪欲、眼を覆う残虐、贅沢、不正、謀略…。この時代を生きた詩人セネカは、ローマの植民諸都市の荒廃を次のように述べている。「沢山の人間で広場が雑踏している。…そこには人間の数と同じ位、悪徳があると承知するがよい。…彼らの間には何の平和もない。わずかな銭のため、他人を破滅に導くことに引き込まれている。誰かを損害に引きずり込んで自分の儲けを確保する。そうかと思えば、わずかな快楽や利得のため、全てを失うことを望む矛盾した欲望に搔き乱されている。これは野獣の集まりである」(セネカ「怒りについて」)。この言葉は、セネカが実の兄、ガイオ(使徒19章で、ユダヤ人の訴えを退けた総督ガイオ)に宛てたものである。さらに弟セネカは、「幸福な人生について」の著作を兄ガイオに宛て、次のような文面を残している。「ガイオ兄上に申す。幸せな生活を誰もがみな望んでいる。しかし、人生を幸せにするものについては、誰もが全く見通しの立たない状況である。幸せな人生に到達することは容易ではなく、幸福を求めれば求めるほど、そこから遠ざかるばかりである」。兄ガイオが何を思ったかは、何の記録も残されていない。ガイオは、幸福な人生を送ることに失敗し、紀元66年、自殺で生涯を閉じている。
だからこそ、こうした風潮の中で説くパウロの言葉は、人々の心に深く響いた。「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり…彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます」(ピリピ3:19~20)。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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