2019年1月20日
「死人に死人を葬らせよ」  ルカ9:60
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
刑事事件担当の弁護士の話である。「死体は、死んでいるくせに意外と存在感があるものなんです」。自然死や病死のことではない。殺された死体のことである。自分で殺したものなら(俺、えらいものをつくってしまった)と、気も動転するだろう。
イエスに反感を持つ面々が集まり、「このままでは皆がイエスを信じて、この国が滅びるかもしれん。イエスひとりを殺すほうが、国を滅ぼすよりましだ」。イエスの終焉の地には現在、聖墳墓教会が建っている。イエスの墓のありかである。
私自身、イエスの死体を思い(俺、えらいものをつくってしまった)との感覚、(イエスに罪をおっかぶせ、死体をつくっちまった)、あの感覚である。今の自分の存在が、イエスの犠牲と残酷の上に成り立っている。
アリマタヤのヨセフという男がいた。ローマ総督ピラトのもとへ行き、「イエスの死体をお渡し下さい」と願い出る。ヨセフはイエスの良き理解者であった。ヨセフは、イエスの死体を新しい墓に入れ、大きな石を置いて塞いだ。死体には、香油を塗るのが当時の習慣だったが、このときは安息日の第一夜が近づいていて、十分な手当てをする時間がなかった。
再度、刑事事件担当の弁護士の話である。「死体はすぐに腐るわけではないけれど、殺した当人にはすぐに匂いが感じられるものなんです。それがどこまでも追いかけて来る。石鹸で洗っても、香水をかけても、フッと匂うんです」。逃げても逃げても、死者の匂いが追いかけて来る恐怖。(俺、えらいものをつくっちまった)。だがイエスは、そんな恐怖で私を追いつめるようなお方ではない。イエスは訴える。「心配するな!恐れるな!わたしは復活する。そして、あなたの住まいを天に備えよう」。
アリマタヤのヨセフは、立派な墓を備えてイエスの死体を手厚く葬った。だが、イエスは死を滅ぼして復活した。ヨセフは、空っぽの墓の前に立ち、死体のない墓を見つめ、何を思っただろうか。イエスはかつて、「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」(ルカ9:20)と仰った。ヨセフは、死体のない墓を見つめ、このイエスのことばを思い出しただろうか。立派な墓を備えてくれただけに、気がかりである。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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