2019年1月13日
「聖書の著者、神の意図」 Ⅱテモテ3:16
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
聖書を読むとき、著者が表向きに描写している姿と、(本当にそんな人なのだろうか?)、隠された真実の姿が異なっているケースがある。〝だらしないなあ〟という描写をしながら、実は神がお用いになるのは〝意外な人物〟。これを訴えるケースである。
サムソンの場合はどうだろうか。表向きの描写は、やたら怒って、女性に弱い。
サムソンはナジル人として〝頭髪切らないこと〟という義務を負っていた。その頃、カナンの地ではペリシテ人が猛威をふるい、イスラエルはその勢いを恐れ、遠慮がちに暮らしていた。彼は女好きだった。ペリシテ人の娘に惚れ、親の猛反対を押し切り、披露宴が催される。三十人のペリシテ人が集まり、余興のつもりか、謎をだす。正解者には、晴れ着を与える約束だ。難解な謎に、ペリシテ側は、サムソンの嫁を脅し、答えを聞き出すより仕方がない。そんなやり方に、怒ったサムソンは、他のペリシテ人、三十人を襲って晴れ着を奪い、「約束の物をくれてやる」と投げ与え、自分の村へと帰って行く。当然、嫁との関係はギクシャクする。嫁は実家に逃げ帰り、他の男の妻となった。これに烈火のごとく怒ったサムソンは、刈り入れ間近のペリシテ人の麦畑に火を放つ。(サムソンの野郎!ぶっ殺してやる)。ここで登場するのが美女デリラだ。色仕掛けで〝髪の毛の秘密〟を暴いてしまう。力を失ったサムソンは、両眼をえぐられ、足枷をはめられ、牢屋で粉ひきをさせられる。だが、彼の髪の毛は、牢屋で少しづつ伸びていた。「神よ。もう一度、力をお与え下さい」。サムソンが力の限り柱を押すと、凄まじい音とともに神殿が崩れ、大勢のペリシテ人が死んだ。サムソンの遺体は、家族に引き取られ、父の墓に葬られた。
お互い色々な欠点があり、欠点だけを見るから、悲劇や喜劇となる。サムソンの生涯はスキャンダルまみれであったが、彼にとっては〝祖国の解放〟、これこそ己の使命と信じて疑わなかっただろう。サムソンの生涯を思い、(サムソンと同じ轍は踏むまい。清く、正しく、美しく)。教会は、きっとそれが一番ではないはずだし、それがすべてでもないだろう。
人間は表向きの描写だけを信じやすい。〝でも、あの人、そんな悪い人じゃないよ〟。こういう問いかけが、隣り人を活かし、私の人生も豊かなものになるだろう。私の祈りは、(良い評価が得られるように)ではなく、(神の栄光のために、用いて下さい)ではないのか。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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