2018年9月16日
「ほなどうしまひょ」 使徒16:28~31
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです」(ローマ5:18~19)。
人間、最後は病気になり、死んで土に返る宿命を負ったのは、「ひとりの違反(アダムの原罪)」(5:18)に由来する。だが背負ったのは「滅び」や「原罪」だけではない。「ひとりの義の行為(キリストの十字架と復活)によって」(5:18)、すでに人類は新しい時代の幕開けを迎えていた。〝アダムの滅び〟と〝キリストの救い〟の両方が、人類の手の中に委ねられているのだ。どちらを選ぶのか…読者よ、よく考えてくださいと、聖書は訴える。
京都の女性には、独特な言葉遣いがあるらしい。「今晩、夕食を一緒にどうですか?」と誘うと、「おおきに」と言う。「ありがとう」の意味である。誘いは受け入れられたと思うだろう。ところがそうではない。「おおきに」の場合、十中八九、拒否されたと考えてよい。「おおきに」は、自分を誘ってくれた好意に対して感謝しているのであり、「お誘いには感謝しています。でも残念ながら…」である。本当に誘いに応じるときは「ほな、どうしまひょ」と、話を具体的に進めてくる。
イエスの誘いの言葉に、「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」(マタイ22:14)とある。現代はイエスの誘いに対し、「おおきに」の時代ではないか。
「パウロは大声で、『自害してはいけない…』と叫んだ。看守は…『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った。ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った」(使徒16:28~31)。こんな時代に生きているので、一度や二度くらい、自殺を考えるのは普通である。
「『先生がた。(ほなどうしまひょ)。救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った。ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った」(使徒16:30~31)。イエスの誘いに応じるときは、「ほなどうしまひょ」と、具体的に話を進め、応答するのがよいだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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