2018年9月9日
「リツパの悲しみ」 Ⅱサムエル21章
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
事の起こりは、イスラエルに三年に渡り、飢饉が襲ったことだ。「そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。『サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。』」(21:1)。イスラエルはギブオン人と契約を結んでいたのに、サウル王が彼らの血を流したのだ。この契約違反が飢饉となり、イスラエルに重くのしかかっていた。サウルはもうこの世の人ではない。ダビデ王は、イスラエルの罪に対する責任を覚え、ギブオン人たちに問うた。「私が何を償ったら、あなたがたは主のゆずりの地を祝福できるのか」(21:3)。「彼らは王に言った。『私たちを絶ち滅ぼそうとした者…その者の子ども七人を、私たちに引き渡してください。私たちは…彼らをさらし者にします。』王は言った。『引き渡そう。』」(21:5~6)。ダビデ王は、リツパがサウルに産んだ二人の子と、サウルの娘アデリエルに産んだ五人の子、要求通り七名を彼らに引き渡した。心打たれるのは次の言葉だ。「これら七人はいっしょに殺された。…アヤの娘リツパは、荒布を脱いで、それを岩の上に敷いてすわり、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした」(21:9~10)。犠牲となって殺された人間の凄まじさである。ダビデ王は、リツパの悲しみを知って愕然しただろうが、この犠牲によって〝義〟は尽くされた。これが国家指導者、ダビデ王の下した決断だった。
ある日の産経新聞の見出しである。「川崎市の市立高校の先生〝カラ通勤〟自家用車を使って、電車やバスの通勤手当を受け取る。生徒が暴く」。この事件には、先生たちの車が生徒の自転車置き場を占領していたという伏線があった。生徒たちは反撃に出たのだ。川崎市の情報公開条例に基づき、教師に対する通勤届の公文書開示請求を行なった。この生徒たちのやり方は、最近の世相の薄気味悪さをよく表している。何かを暴くことに執念を燃やし、勉強そっちのけで走り回る。これで義を貫き、正義が勝ったなどと思ったら大間違いだ。これは義でも正義でもなく、けちな復讐心を、異常なしつこさで成就し、それを評価した産経新聞が記事にし、信念のない校長が安易に生徒に謝罪しただけの事件だ。
イスラエルは〝義〟を貫き、子どもたちの犠牲の上に生きる道を選んだ。「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」(21:14)。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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