2018年8月12日
「驚きに撃たれる教会」 ヨハネ3:13
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
ノーベル賞作家、大江健三郎さんの「飼育」に、突如アメリカの飛行機が落ちて来て、生き残った黒人兵が捕らえられる。今まで考えたことも見たこともない存在、まったくの異文化が、四国の山中に天から降って来たのだから、村人たちの驚くまいことか。「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。(ヨハネ3:13)。「黒人兵が降って来て驚いた」などという次元の話ではない。神の子が天からくだって来た。教会は、この驚きに撃たれ続けなければならない。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリピ2:6~8)。
当初は奇怪な怪物のような生き者に驚いていた。だが日時が経つにつれ、黒人兵の存在は異文化には違いないが、村の子どもたちは少しずつ黒人兵と心を通わせていく。一方、村の大人たちの中に、村役場の人間が登場する。これは現代の文化や秩序の代表みたいな存在だ。子どもたちは、天からの存在と共に暮らしているが、大人は、世間とか秩序とか、良識とか、そうしたものと必ず接点を持っているから、天から来た存在に心を開くことができない。
イエスはゲッセマネの園で、「神よ。できることなら、苦き杯を取り去って下さい」と祈り、だが再び気を取り戻し、「しかし、わたしの願いには耳を貸さず、御心のままに…」に祈りが変わった。十字架前夜、自分を守るか、罪人を守るか、分かれ道、岐路に立っていた。
黒人兵は裁判にかけられることになる。自分を守るか、幼子たちを守るか、分かれ道、岐路に立たされた。黒人兵にとってのゲッセマネだ。黒人兵は、これまで子どもたちと調和を保ってきたけれど、いつまでも静かにしているわけではなかった。ついに内的エネルギーが爆発し、子どもを人質にとり自分を守ろうとする。子どもたちの心に深い挫折感が刻まれる。
ペテロは持っていた剣で、イエスを捕らえようとする兵士の耳を切った。「よせ!剣を持つ者は剣によって滅びる。わたしはここにいる。そんなに大勢で暴力をふるう必要はない」。イエスは自ら進んで捕縛された。こうして神の子が死んだ。
教会は、この驚きを、決して失わないだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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