2018年7月29日

創世記32:28
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
人は、人生の祝福を願うが、そのための手段は重要ではないか。
リベカは双子を産んだ。初めに現われたのはエサウで、こちらが兄。次に現われた子は、兄の踵を掴んで産まれ出たので〝踵〟を意味する〝ヤコブ〟と名づけられた。〝ヤコブ〟という名には〝押しのける者、騙す者〟の意味もある。兄の踵を掴んだのは、エサウより先に産まれ出ようと、足を引っ張ったのではあるまいか。長男の権限が絶大であった時代に、兄か弟か、その決定は大きな意味を持っていた。ヤコブは産まれる前から、長男の座を奪おうとしていたのではないか。「子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、『こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は』と言った」(創世記25:22)。ヤコブは〝押しのける者、騙す者〟として生きて行く。一杯の煮豆と長子の権利を交換しようと企む。盲目の父イサクを前に、兄になりすまして祝福を奪う。叔父ラバンのもとでもやりたい放題、財産を増やすヤコブ。
ある日のことだ。「ある人が夜明けまで彼と格闘した。ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。するとその人は言った。『わたしを去らせよ。…』しかし、ヤコブは答えた。『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。』」(32:24~26)。争いの中で生きるヤコブ。み使いにさえ負けまいとして祝福を求める。奪う格闘は止まない。だがヤコブは大腿骨を脱臼、肉の力を失い、挫折し、み使いの前に首を垂れる。
〝押しのける者、騙す者〟ヤコブの生き方が招いた挫折と葛藤。これを克服し、まことの〝イスラエル〟となる戦いがあるのではないか。「その人は言った。『あなたの名は何というのか。』彼は答えた。『ヤコブです。』その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。』」(32:27~28)。「イスラエル」とは、「神が戦われる」の意味だ。キリスト者の生き方には、自分を捨て、神に委ねて「神が戦われる」、自我を放棄する戦いがあるのではないか。神に砕かれ、扱われ、(もう自分のために生きるのは止め、あなたの人生を、わたしに委ねなさい。あなたはイスラエル。わたしがあなたのために戦おう)。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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